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2012年1月24日 (火)

菜の花ウオッチングの旅(2012年)★吾妻山公園

 

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1月中旬になると、無性に暖かな春の陽が恋しくなる。そんな折、真っ先に連想するのが菜の花!黄色の眩しい光景はまさしく春色である。関東では・・・と考えると、神奈川県二宮町にある吾妻山(あずまやま)が頭に浮かぶ。昨年もこの時期に出かけたが、今年も懲りずに東海道線下り電車で「二宮駅」へ。今回は、「富士山も見たい!」と極寒にもめげずGO-。8時15分、二宮駅到着。そこから坂道を少し上り、吾妻山公園へ。頂上へのスタートは石段から~。さあ、上ろうとチラリと案内看を見れば、「あせらず、あおらず、ゆずりあい」と書かれている。いや、いや、あせらずボツボツ上っていたら、富士山が雲隠れしそう~。足を踏ん張ってトントン上る途中、階段を降りてきた人と言葉を交わす。「頂上から富士山がよく見えますよ、こんなに曇っているのに、良かったですね」と、嬉しい声援をいただく。

  吾妻山の標高は136,2m。頂へ通じる最初の石段は300段。上りながら、ふと気づく。昨年と違い、一段の横幅が広くなっているし、麓からの頂上へ向かう山道も増えているみたい。又、山の側面にある学校の教室に目をやると、窓に補強柱など地震対策が施されている。昨年の東日本大震災後に見直しをされたのかな?二宮は海岸に近い。高台は避難場所に適しているので、地元の人達の安全確保のため整備されたのかも。ふと、「万全を期す」と言う言葉が頭をよぎる・・・。

 傾斜地に群生するスイセンが美しい。ふと振り返ると、相模湾が朝の陽光を浴びキラキラ光っている。ヤッホー、石段を上りきった。もう一息となだらか坂道をひたすら歩く。右手の「浅間神社の鳥居」を見やりながら、とにかく山頂へと急ぐ。

8時40分、まだ冬枯れの静かな芝生広場にでる。やれやれ・・と展望台に立つと・・・、あれ、富士山が見えない?カメラの三脚を背負った女性が「富士山は今しがた雲で隠れましたよ」と言われた。ほんの数分前まで見えていたらしい。うぅぅぅ・・。東海道線の車窓からも富士山は見えていた。二宮駅では曇り空だったが、冬の明るさながらも、富士山はくっきりと見えるだろう~と予想していた。遠景に見える金時山、矢倉岳を見つめ、そこに富士山が鎮座すれば絶景なんだけど・・・

 相模湾を眺めると大島、伊豆半島がうっすら見える光景も美しい。ふと、海を越え潮風が吹いてくるよう~!4万5千株の菜の花の輝く光景は、何回眺めても飽きることはない。まあ、満足しょう~と菜の花畑に目を向けると、利口そうな「犬」がいる。「ロッ君、こっちを見て、お座りして、伏せ!」など飼い主の注文におとなしく従うわんちゃん。可愛い!!隠れた富士山に代わり、犬のロッ君が急遽、アイドルデビュしたかのよう。数人のカメラマンの視線がわんちゃんへ集中。

 すると突然、ざわざわカメラマンが動き出す。見れば富士山が頭を出しているではないか!遠景にうっすらながら、巨大に、神聖な山の姿がみえる。菜の花と富士山を入れるのがフォトポイント。三脚を構えたカメラマンが立ち、その後ろから私も立つ。はい、パチリ!!曇り空でぼやけた写真だが、この頂から富士山が見えたのは大きな喜び。5分後、再び雲の中へと神聖な山は消えていった・・・

 丘に咲くスイセン、春の草花がひっそりと崖下で咲き、まゆみの木の実をつつくメジロ。見上げれば曇のはざ間から射す陽光が暖かい。空も大地も微笑みながら生きている。この吾妻山は、二宮の美しい海浜や町並みを一望できる山であり、人々の故郷である。町は子孫に誇れる山として残そうと、地元の人たちと一体となって自然を守り、温かみのある公園として現在につないでおられる。

 麓からお囃子の音が聞こえるので、「NVF(二宮ボランテァ・ファイアー)」の方に「何かあるの?」とお聞きすると、今日は、「吾妻神社の祭りの日」と教えてくださった。そこで、他の町からも「助け人」が集まり山周辺を警備されている。偶然ながら縁起の良い日にやってきたらしい。では、吾妻神社参りをして下山しよう。

 吾妻神社の由来はー、山頂にある吾妻神社の創建は、第十二代景行天皇の時代。皇子である日本武尊(たけるのみこと)が三浦半島の走水から上総の国に船で渡るとき、突然荒波に遭い、船もろとも沈みそうになる。その時、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は夫らを案じ、海に身を投じたことにより、海の神の怒りを鎮め、平穏を取り戻し、夫の一命を取り留める。その後、日本武尊は海辺(袖ヶ浦)に流れ着いた妻の櫛と袖の一部を、吾妻山にまつり、在りし日を偲んだとある。・・・そう、吾妻山が「愛と思いやりの丘」として語られる由縁である。

 遠くの海を眺めながら下山していると、急に間じかで海が見たくなり、梅沢海岸に出てみると、数人の中学生が浜辺で飛び跳ね、防波堤では釣り人が糸をたれている。湘南の風が凍てついた冬の岸辺を縁取るように吹き抜けていた。
 二宮町観光協会では、吾妻神社の縁結祭がおこなわれるさい、「吾妻よさこいパレード」も開催され、賑やか鳴子の音が響き渡る。参加団体は20に及ぶ。梅沢の旧道沿いには多くの出店が立ち並び、山頂の本殿にお参りする人達で賑わう。

 いよいよ演舞スタート! 狭い会場なので、観客の人と手(鳴子)がぶつかりそう。 でも、この狭くむんむんする雰囲気がいかにもお祭りらしく、気分も高揚する。小学生の鼓笛隊。浦賀沖にペルーが来航して150年周年を記念して踊る「ソーラン」は、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソン!ソン!」と力強さとしなやかな舞い。参加チームは小田原や東京からもやってくるなど実にユニーク。
 
 祭りも架橋にはいる。無料の花を手に、たい焼きを食べたり、たっぷりの具のトン汁(一杯100円)で身体を温めたりと右往左往。出店でアジ、イワシ、小エビの干物など海の幸を買い求め、二宮を去ることに・・・。「又来年もきてや!」って魚やのおじちゃんの愛想のいい声を背に駅へ向かう。寒い冬空が続くなか、菜の花、水仙、梅、みかん、草花をウオッチングできた充実感がなんとも嬉しい。
 もうすぐ本格的な春がやってくる!!そう、凍てついた大地が溶け始め、草花は息吹き、私たちの心身もより元気になるだろう!!

 

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写真1~2枚目「早朝の芝生広場」
  6~7枚目「富士山がかすかに見える風景」
  13枚目「吾妻神社」
  14~15枚目「吾妻神社のお祭り風景」
  16枚目「梅沢海岸にて」

    (次回は1月31日火曜日(イタリア4)の予定です

2012年1月17日 (火)

イタリアの旅(その3)カプリ島~アルベロベッロへ

 

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 イタリアの世界遺産「ナポリ歴史地区」を廻る。紀元前470年、ナポリはギリシャの植民地として、整然とした都市計画のもとに新しい街が建設された。ナポリの語源もギリシア語のネアポリス(新しいポリス)から。紀元前4世紀には古代ローマ、11世紀にはノルマン人に支配されるが、13世紀にはナポリ王国が誕生。
しかし、16世紀にスペイン、19世紀にはヴルボン家に支配されるなど歴史変遷はすさまじく、その上、度重なる地震やヴェスブィオ火山の噴火は、ナポリを大きく衰退させることになる.。・・・がイタリア王国(1860年)への併合を迎えるまでは、芸術・文化面での先進地てあり続けた。実際、ガス灯が灯ったのも、鉄道が敷かれたのも、電信線が引かれたのも、ナポリが最初である。

 ナポリ市の人口は約100万人。ナポリ都市圏の合計人口は300万人と、世界でも有数の人口密度をほこり、又、犯罪の多い町、ゴミの多い町としても有名。確かに、ナポリ市街のゴミ収集箱からあふれたゴミが散乱し、風に吹かれ飛んでいる。う~ん、その飛んだゴミは何処へいくのかなぁ。どうしてこんなにゴミが出るのか不思議なぐらい。ゴミ処分場に問題でもあるのか、それともナポリ人はゴミを気にしないのかも。それはさておき、ナポリ人は情熱的で外交的、陽気な気質と言われるが、それは輝く太陽と温暖な気候、こんな社会背景にあるのかも知れない。

  早朝、ナポリの南約30kmにあるカプリ島へ向かうことに。船の出港時刻は7時55分。さあ、ナポリ港へGO-。海岸線を走ると、対岸に朝日に照らされ赤く染まったナポリの町が視界に。なんとも麗しい!到底ゴミの町には見えない。更に進むと、サンタ・ルチーア港に面して建つノルマン時代の古い城壁「カステル・デッローブオ(卵城)」が近づく。「卵城」と言われる由縁は、詩人で魔術師でもあったビィルジチオが、「もし壊れたらナポリに災いをもたらす」という魔術をかけた卵を、この城の地に埋めたという伝説によるが、この城はナポリの歴史を見守ってきた。

 ナポリ港に着く。早速、カプリ島へ渡るためジェット船に乗り込む。約40分でカプリ島に接岸。ヤッホー着いた。なんて喜んぶのはまだ早い。ここから「青の洞窟」へ行くには、モーターボートに乗り換えねばならない。実は、「青の洞窟」は、地盤沈下で海面下に沈んだ洞窟で、その内部に入るには、まず、モーターボートで洞窟近くまで近づき、そこから小舟のボートに乗り込み、そして空洞へと入る。
 
 カプリ港を出発。真っ青な海面をびゅ~ん、びゅ~んとモーターボーが走る。舵取りの人も乗り合わせる我々もカッコイイ!!おお、港がはるかに過ぎ去り、島の端が輝きをもって迫る。まもなく洞窟の入り江に大接近!!ここで1隻4人乗りの手漕ぎボートに乗り換え、洞窟の中へと。うぇぇ~、入り口がとても狭く高さ1mほど。船体に頭をかがませながら入るが、内部は暗いし、頭を沈めているので・・・よく見えない。が、予想外に広く長さ約50m、高さも15mはありそう。わぁ、青い洞窟!!太陽光線が海水のなかを屈折して、洞くつの中に入り込み、海水と洞窟の壁面を、幻想的に染めている。神秘的と感嘆しながらボートでぐるりと一周。

 この素晴らしさを写真にと頑張ったが、あいにくカメラの電池切れ。うぃぃ、何でこんなときに・・・残念無念。まあ幻想的な光景を見たのだから嬉しい。私たちは幸運にも洞窟内に入れたが、天候が悪い日、特に冬場は現地に行ってみないと入れるかどうか分からない。「運を天に任せる」とはこのこと。以前、友人も洞窟へと向かったが、風が強く体験できなかったそうだから、今回はラッキーだった!

 「青の洞窟」からカプリ島へと戻る。カプリ島は長さ6km、幅2km、面積10平方kmの小さな島だが、2000年もの間「夢の島」であり続けている。ローマ人や芸術家は、その景観の美しさと気候の良さ、透き通った海を眺め、ここを保養地として、また住む場所としてこの島を選んだ。人口は1万3000人に過ぎないが、観光客でいっぱい。港からケーブルで坂を上がり、この島の伝統的な中心地、「ピアッツェッタ」広場へ。サロンのような小さな広場で話に花を咲かせるひと時、知らないもの同士が、一層の親しみをこめ、ひとりひとりの人生を、夢物語を語りあう。

ナポリ島はレモンの産地としても有名。レモンのリキュール、菓子、チョコレート、石鹸や香水などレモン製品が並ぶ。ブティック、宝石などお洒落な店など、見ているだけで楽しくなるが、指輪2個を夢の島の想い出に買う。1つは光線できらきら光り、もう1つは珊瑚の「ヒトデ」のデザイン。甲乙つけがたく、どちらも可愛い!

 レストラン「CAPRI・MOON」で昼食。ここはガーデンテラスを兼ね備え、本場の郷土料理を提供するので有名なレストラン。メニューは地中海の香りが漂うシーフードフリッター。カラリと揚げたエビ、イカ、レタスに好みのドレッシングをかける。揚げたてだから美味しい。もう一皿はリゾット。この料理は、たまねぎ、赤ピーマン、イカを炒める。イタリア米を洗わずに入れ、半煮の段階で、白ワイン、コンソメスープを加えて出来上がり!何処の国でも同じと思うけど、イタリア料理も愛情をそそぎながら作ると上手くいくそう。なるほど、温和な味で美味しい!

 カプリ島からナポリへ戻り、約330km先のアルベロベッロの街へと向かう。牧歌的な田園地帯に入ると、車窓風景に風力発電が目立つ。イタリアには原子力発電所がなく、聞くところによると、イタリアは先進国の中で唯一、原発を持たないことを決めた国のよう。だが、それでは電力不足解消にはならないので、原発の建設を決めていたところ、日本で原発事故が起き、反対運動の渦が舞い上がっているらしい。電力供給や発電コストの高さ、CO2排出の問題を抱えるとどうなるのだろうか?現在、イタリアは必要な電力を自国だけでまかなえず、原発の多いフランスから電力を受けているので、イタリアの電気代は相当高いとみえ、ホテルでも節電が徹底され、廊下の照明も人感センサーで点灯。薄暗い廊下に戸惑うが、慣れてくると気にならなくなる。まあ、消灯されているよりは、いいかもね。

 途中、休憩と買い物をかねてサービスエリアに入る。そこでしばしウロウロ。カウンターでコーヒーを飲んでいるイタリア人は、ちょっとイケメン!?イタリア男性はサービス精神旺盛で積極的と言われるが、カメラを向けると照れくさそうに笑う。そう、ニッコリ笑う。微笑みカッコつける。イケメン傾向の強い国って思う。

アルベロベッロに到着!!「美しい樹木」を意味する町で、とんがり屋根に白い壁のこの地方独自の建物「トゥルッリ」で有名な世界遺産の町である。不思議な家々に住む人々は、宝物を守るように歴史を歩んできたのだろうか。今、青い空の下、その輝きが生かされ、かけがえのない存在となっている。

 その夜のホテルでの夕食は、ミニサラダ、チキン料理、貝殻の形をしたコンキリエパスタにケーキ。はい、ワインで乾杯!! コンキリエは貝殻の形をしたパスタで、その大きさはさまざま。小さなものはスープの中へ、中くらいのものはソースと絡めて使ったり、サラダにも。そうそう、ここフーリア州はイタリア半島の長靴のかかとの部分にあたるが、葡萄生産量はイタリアの中でも1,2を争うなど、ワイン造りの盛んな州である。さあ、もう一度、地元のワインで乾杯、乾杯!!

                  青の 洞窟で

                  洞窟であなたを待っている
                  待っている
                  あなたの幸せを守るため
                  海から湧き上がる陽のエネルギーが、
                  青い光をたずさえ待っている
                 さあ、目覚めよう
                 心のなかの深い哀しみを
                 美しい青に染めるため
                 今、厳壁に
                 幻想的に映しだすのです・・・
       

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写真1~2枚目「卵城・朝陽に輝くナポリの町並み」
  3~4 「ナポリの港」
  5~7 「ナポリ港から青の洞窟へと」
  8~9 「洞窟の入り口・青の洞窟」
  10~11「ナポリ島の海岸・港からケーブルで丘の上へ」
  12~16「ナポリ島の風景」
  17 「CAPRI・MOONの昼食リゾット」
  18~19「アルベロベッロの夕食・コンキリエパスタ、ワイン」
  20  「イタリアの男性」

           (次回の更新は1月24日火曜日・国内編の予定です)

2012年1月10日 (火)

イタリアの旅(その2)アマルフィ~ポンペイ遺跡へ

 

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  アマルフィは、地中海に君臨した海洋国家として知られ、その歴史は古く表舞台に登場したのは839年、ナポリ公国から独立しアマルフィ共和国となった時のこと。中世イタリアの4大海洋都市国家(アマルフィ、ピサ、ヴェネツィア、ジェノヴァ)の中でも、アマルフィが早い発展を遂げたのは、イスラム勢力との戦いで徐々に勢力を伸ばし、諸国と貿易関係を築くなど優れた商才振りを発揮させたからで、造船、航海技術を発達させ、9世紀には強力な海軍を持ち、10世紀末に最盛期を迎える。だが、1131年、ノルマン人に、1135年と1137年にはピサに攻撃され、急速に衰退。さらに14世紀、2度にわたるペストの大流行や地震、津波の惨事に見舞われ、ついに栄華の歴史は追憶の中へと消え去っていく・・・。

 アマルフィは、海に面し、海岸線が入り組んでいることもあり、外敵の侵入を防ぐのに適していたのだろう。現在はその温暖な気候、美しい町並み、風光明媚な風景で世界中の人々を魅了する。どの街角から眺めても絵になるが、13世紀の「大聖堂」が素晴らしい。聖堂は正面の広い階段が特徴的で、正面階段は57段。基礎はロマネスク様式。イスラム文化とキリスト教建築が融合したムーア様式の装飾で飾られ、鐘楼は1180年から1276年にかけて建てられている。

 昼間、大聖堂の階段は若者の笑顔で輝き、夕暮れ、西日が大聖堂正面のモザイクを黄金色に、夜になれば、月や星のもとで町全体が輝くことだろう!多くの人々が階段をのぼるように、私も天をめざし、神の恵みを受けるようにのぼる。聖堂は2つの教会、鐘楼(塔)、回廊から構成される複合建築物。正面にキリスト、聖母マリア、サン・アンドレアとピエトロの絵で装飾された青銅製の扉が光る。

 小さな町の狭い路地に所狭しとみやげ物が立ち並び、異国情緒あふれる町中を歩くだけでワクワク。こやぎのような犬をなでたり、レモンオイルを買ったりと楽しい。海岸に出て、埠頭から町を振り返ると、大聖堂の背後に岩山が聳える光景が印象的!!ふと思う。こんな風景のど真ん中で滞在できるといいだろうなぁ。毎日、野菜、肉、魚を求め、レモンオイルたっぷりの自炊を・・。何よりも大聖堂の町並み、レモン畑、灯台、碧い海を眺めるだけで、うぅぅ、ロマンチィック!!

 いいよいよ、昼食の時間。「ボンゴレスパゲティ」の登場。 かためにゆでたスパゲティを、あさりを煮た鍋に入れ、味をしっかり含ませてある。おお、イタリアで最初に頂くスパゲティ。待ってました・・・ビバ!スパゲティ!

 食後、薬局で「酔い止め薬」を買う。実は、ナポリからアマルフィまでの75kmの海岸線を2時間かけて走ってきたが、断崖絶壁にある路は狭くクネクネ曲がっていた。対向車線が見えない道路が多いので、運転手はスピードを上げたり下げたり、クラクションを鳴らしたり、急停車をしたりと右往左往。乗客の多くは車酔いをし、私も完璧に。しかし、うぇぇ~気持ち悪って真っ青になりながら、写真を撮っていた・・・自分が信じられないが、それほどきらめく絶景だったってことかな!

 ママルフィが日本人により知られたのは、2009年に公開された映画「アマルフィ女神の報酬」から。織田裕二・福山雅治、天海祐希、佐藤浩市らが出演。オールイタリアロケという日本映画史上かつてないスケールで見ごたえ充分だった。
 それにー、主題歌が素晴らしい!英国のソプラノ歌手、サラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」の曲が繰り返し繰り返し流されると、ただそれだけで胸がキュンとなる。映画は「ローマに派遣された外交官が、ある旅行者の娘の誘拐事件に遭遇し、事件解決のため奔走する・・・」そう、サスペンスだが、世界遺産の建造物が登場し、アマルフィの優美な町中でのロケだからスケールも大きい。日本人外交官役の織田裕二さんも、カッコよかった!!

 さて、アマルフィを後にしポンペイ遺跡へと。ポンペイは、ローマと同じぐらい古い起源を持ち、町は紀元前8世紀頃、イタリア先住民のオスクが建築したもので、ポンペイと名づけられる。ボンベイは、海から豊かな内陸に向かう出発点という地の利を得て大きく栄え、劇場、神殿、公衆浴場、売店などが並び、水道、塗装道路も整備され、ローマ人の別荘もできていた。その後、めまぐるしい政治変遷にもかかわらず農業、商業、各種産業において発展を遂げてきた。が、起元62年に大地震が発生し、町は一瞬にして瓦れきの山と化する。しかし、生き残った市民の不屈の闘士と生命力で、半壊した町の再建へと進み、町は以前にもまして繁栄したのだったが・・・二回目の避けることの出来ない運命的な大惨事が起こる・・・

 79年、ヴェスヴィオ山が大爆発を起こし火砕流が発生。長い間、この山は死火山として考えられ、裾野にブドウが栽培され、豪奢な邸宅なども建てられていた。火山爆発の危険性が知られていなかった当時のこと、被害者も多く、死者は約2000人~1万人以上とされる。天高く燃え上がる火柱の上に、巨大なきのこ雲が黙々と広がり、白熱した岩や火山れきが町に降り注いだ。この大惨事に、さらに雪、地震、津波が追い討ちをかけ、さながら絵地獄をみるがごとし、と記されている。ヴェスヴィオ山の火山活動はつづき、火山灰が積もり積もって町も埋もれ、ポンペイは2000年もの間、復活しなかった。それが19世紀の初めに行われた発掘作業で、ボンベイ発見というセンセーションを世に巻き起こすことになる。

 2000年前のポンペイの姿を見たければ、自分の足で歩き廻るしか手がない。
 さあ、遺跡へGOー。正面に架かる槁がマリーナ門。町から海に通じていた門で、ポンペイはこの門から始まる。右側の門は、港から魚や塩を運ぶ荷車用に歩行者用。門をくぐると、ビーナスの神殿跡や、立ち並ぶ豪邸の跡がある。

 いよいよ2000年前の街へそろそろ入場。展示室に入ると、噴火による犠牲者の石骨像が目に留まる。説明によると、19 世紀半ばのポンペイ発掘調査にあたったフィオレルリは、堅い火山れきの中に出来た生物体腐食後の空間に、石膏を流し込んで型を取り、固まったところを掘り起こすというシステムを採用。こうして1900年前に消失した樹木や動物、人間の姿が石膏体で取りだされることに成功する。市民の衣装、装身具をまとった姿、顔を覆った状態で座りこんだ姿、悶え苦しみながら息だえる瞬間の姿を見ると、生々しくてドキッとする。
 又、展示品には金属製の留め金、ブローチなどもあるが一度では見きれない。外に出ると、まさしく炎天干し状態。皮膚がじりじり焼ける。うえぇ~、遺跡巡りは体力勝負。ほんと心身が消耗するよ~。なんて言いながら次なる遺跡へ。

 「ジュピターの神殿」はイタリア式神殿建築の典型的な例とされ、ボンベの最も重要な神殿。そして、一番古い公共建造物である「バシリカ」は紀元前120~78年に建設。ビイーナスの神殿、行政機関の建物、食品売り場、ジュピター神殿、アポロ神殿、アポロのブロンズ像(ディアナの像)を見学し、フォロの浴場へ入ると、この暑さで犬もへとへとらしく、ぐったり寝そべっている。水飲み場にくると、周りの空気が湿っぽく感じ、飲んでもしないのに、何故か喉の乾きも薄れる。ほっ!

 たくさんの神殿を足取りも軽く(重く)見て廻るが、さすが2000年前のポンペイのスケールは大きい。思うに、ポンペイの町を深く知るには、数日の余裕をもたねば充分にはわからない。過去への素晴らしい旅はやはり強い関心と時間のゆとりが必要のよう。それにしても支えきれない遺跡をかかえ、修復中の工事現場もあちこちに。失われた過去が未来へつないでいく修復・・・期待をもって見つめよう。

 一泊目のホテルへ戻る。夕食はサーモンのグリル。気の会う仲間とビール「NASTRO・AZZURRO」で乾杯!さっぱりとして香りも良い。楽しいひとときに疲れも吹っ飛び、みんなの顔もご満悦。そのあと、気の合う3人でタクシーで有名なピッツエリアへ行くと、客が店前であふれている。イタリア人って、根っからピザがお好きのよう。待つこと30分。釜で焼かれた本格的マルゲリータが運ばれてくる。もちもち感のナポリ風のピザは美味しい。ナポリのピザ生地は他の町のと一線を画しているらしいが、ほんとうに美味しかった!!これには大、大、大満足。
 町中を歩いてホテルへと。幻想的に輝くナポリの町がなまめかしい。ゴミの町と言われるが、暗闇ではそれは全く気にならず、柔和で親しみが持てる町だった。

        この海の青さ!

      たぶん幼いころから
      私は幾度となく
      どこかで青い海を眺めていた
      幸せを約束するような色だった
      大人になっても海の青さを思い出し
      遠くを見やる・・・
      美しい海よ!
      いつまでも消えないでおくれ
      そうでないと、世界は
      夢の輝きを失ってしまう・・・

 

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写真1~3枚目「アマルフィの風景」
  4~5枚目  「アマルフィの大聖堂と青銅の門」
  6~7枚目 「大聖堂の階段の頂から・広場風景」
  8 枚目「ボンゴレスパゲティ」
  9 枚目 「ボンベ遺跡のマリーナ門・桂廊と両替所」
  10枚目「噴火による犠牲者の石骨像」
  11枚目「秘儀荘の壁画の一部」
  12~16枚目 「ジュピタ神殿・台所・パシリカ・水汲み場」
  16~17枚目「アポロの神殿・アポロのブロンズ像(ディアナの像)」
  18~19枚目 「ナポリのピザ店・マルゲリータ
  20 枚目  「ナポリの夜」

               (次回の更新は1月17日火曜日の予定です)

2012年1月 5日 (木)

イタリアの旅(その1)ローマからナポリへ

  

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 2010年の春、憬れのスイスへ行った。旅のプランはイタリアのミラノ空港に降り立つところから始まったが、すっかりイタリアにも憧れをいだくようになる。紫色の日暮れ時に輝くホテルに感嘆し、翌日訪れたコモ湖の景観に感激し、国境の町ティラ-ノでスパゲッティーのおいしさに目覚める。それ以来、イタリアをもっと知りたい、もっとイタリア料理の醍醐味を味わいたい、そんな想いにとらわれた1年、その間、時はたゆみなく移ったが思いは変わなかった。そして春がまた来た。

 思えば、イタリアって世界各国の人々が訪れるほど魅力ある国なのに、私はイタリアへの旅支度に追われることはなっかった。スペインに8回行っている。スペインもイタリアもラテン語を基礎言語とし類似点も多い。何とか話も出来るとおもうけど、思うに、イタリアは偉大な芸術家を排出した国で、抜群のセンスの良さや人々の気質に圧倒されていたのかも。42の世界遺産をもつイタリアで、何かを知ろうとすると、何も見ず、知識も得ないうちに、短い旅の時間が、どんどん過ぎてしまう気がしていたのかも。まあ、やっとチャンス到来って感じ。そう、スパゲッティーやピザに惹かれながら、私の旅時計はイタリアへ向けて動き出す。カチカチ・・・

 イタリアに目を向けると、あらためて歴史・文化の深さを思い知らされるが、今回の旅では11世界遺産を訪れるので、異民族の侵入や宗教的影響を受けながら、生き続けてきたイタリア物語を少しでも理解できたら嬉しい。それに、「陽気なイタリア人」「公よりも私優先で身を守る気質」と言われ、1ヶ月のバカンスをとり、人生を楽しむために働く国民性ならば、すべてにおいてのんびりムードに違いない。旅中、あくせくしないで楽しめるかも。でも・・・「スリ」「窃盗」が多いらしく、特に日本人は狙われると聞く。あれれ、それじゃのんびりできないかも?まあ、観光客をターゲットにスリが活動するのは世界の大都会ならいずこも同じ。素顔のイタリア人は愛すべき異邦人と思い、大いに仲良くしたい。はい、握手!

 イタリア共和国(通称イタリア)は共和制国家。地中海に突き出した長靴型イタリア半島と、地中海に浮かぶ2つの大きな島(サルデーニャ島、シチリア島)からなっている。東はアドリア海、西にティレニア海。国境を接する国としては、フランス、スイス、オーストリア、東側にスロヴェニア、それにキリスト教・カトリック教会の治めるバチカン市国(イタリアの首都ローマが周囲を囲んでいる)がある。北部のアルプス山脈やマッターホルン、モンテローザ、モンブランのような高峰は、スイスやフランスとの国境に位置する。そう、スイスから眺めた輝く山々である。

 イタリア国旗は、1796年、フランス軍のイタリア遠征時に、ナポレオンがフランスの3色旗の青を緑に変え、イタリア諸邦の統一旗とした経緯がある。そう、フランスの影響を受けたもので、元をただせばフランスの3色が起源。フランス国旗は「青、白、赤」で、イタリア国旗は「緑、白、赤」だからよく似ている。イタリア国旗の3色にはそれぞれの意味があり、「緑」は美しい国土、「白」はアルプスの雪、「赤」は愛国精神を表すとされる。とてもシンプルで美しい。行き先で緑、白、赤色の旗に出会ったら、おお、イタリア!と親しみをこめて見つめたい。

 さて、イタリアの豆知識として、イタリアに入国するにはパスポートとビザが必要だが、観光目的の場合、90日間滞在まではビザなしでOK。 通貨はユーロ(Euro)。各都市で日本語や日本円の通じる店が多いので買い物もしやすそう。イタリア時間は日本時間より8時間遅れ。ただイタリアはサマータイム(3月最終日曜日から10月最終日曜日まで1時間早くなる)が実施されているので7時間の時差となる。気候は温暖で雨が少ない地中海性気候ゆえ四季の区別が明快。
ローマと東京の気温は年間を通じてほぼ同じだが、湿度が少ない。暑い夏場の日中でも建物の日陰に入ると涼しく、夜は肌寒く感じる日もある。南イタリアのナポリやシチリア島など、太陽が燦々と輝く常夏のイメージがあるが、冬に雪が降ることもあるので、基本的には日本と同様で北部が寒く南部が温かい気候のよう。

 さあ、イタリアへGO―。成田空港からローマまで12時間の旅が始まる。雲上からの光が窓に反射し、水玉模様となって点々と浮かぶ。眩しい光景にそわそわ浮き浮き。やがてアリタリア航空の機内食が運ばれてくる。ああ~美味しい!と言っても和食だが・・・。やがて真っ赤な夕陽が輝くなか、飛行機は長旅を終えローマ・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港へと。「ようこそイタリアへ!」と迎えられ、小躍りする喜びの瞬間、顔も心も夕陽に照らされ真っ赤!!

 ローマはイタリアの首都で、人口約282万人(2005年)とイタリアで最も人口の多い都市。古代ローマからの2500年もの長き歴史を紐解くと、度重なる支配や占領を受けつつも、ローマ教皇領の首都として栄える。1871年、イタリアは統一され、それまで首都だったフィレンツエに代わり、ローマは統一イタリアの首都となる。現在、ローマはイタリアの政治、文化の中心(経済はミラノ)であり、観光都市でもある。又、「永遠の都」といわれ、映画「ローマの休日」はあまりにも有名。

 永遠の妖精オードリー・ヘップバーンが世界中の恋人として注目された映画だが、ローマの名勝地を舞台にした一日の出会いと別れのストーリに、ローマへの憧れを感じた人も多い。私もオードリーの気品と、微笑、可憐さに惹かれ、最期に「もう十分に生きたわ!」とスイスで永遠の眠りに入ったオードリー自身の人生にも惹かれた。彼女は人類の不幸の源として戦争を見つめ、政治を考えていた人だった。「年をとったら人にはふたつの手がある。ひとつは自分を助ける手、もうひとつは他人を助ける手」と、ユニセフ親善大使として活躍したのだった。

 ローマ・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港からバスで230km先の「ナポリ」へ向かい、イタリア第一日目のホテルへと。おお、”ラッキー“素晴らしいホテル。部屋はやや狭いが、ナポリ風の絵画が廊下や部屋の壁にいっぱい、飾り皿やオリジナル家具も飾られ、浴室にはハンドメイドタイルのアート絵で美しい。旅の疲れを癒すのに最高の雰囲気と大満足。だが翌日、仲間の話だと「バスタブなし、部屋狭し、汚い、まるで使用人の部屋だった」と悪評。私は、内心、部屋の条件に差があるみたいと、口をつぐむ。だって二日目の夜も同じ部屋なんだもの・・・ごめんね。

 翌朝、世界遺産でもあるアマルフィ海岸へ向かう。ナポリの南、カンバーニア州からサレルノまでの全長40Kの海岸線は、この世で一番美しい海岸線と言われるが、道幅がとても狭くくねくね曲がり、窓から下を覗くと断崖絶壁。わぁ、怖っ、なんて言いながら甘い恐怖にうっとり。レモン、オレンジ、オリーブ畑の風景が美しい。近景に青い海に黄色い果物、遠景に大きなレモンの袋を背い段々畑を降りていく人々・・・、おお、絵のような風景。私の席は運よく海岸側なので、コバルトブルーの海と折り重なる山々や、切り立った崖に張り付くように建ち並ぶ民家もよく見える。おお、麗しのアマルフィ!

                心の花園

             あの午後・・・
             ガラスの瓶に注ぎ込まれたような
             初めて味わう閉塞感、
             いくどと寄せる地震の波、波、波
             それが次第に集って怒り狂う渦となり
             穏やかな空間が消えていく

             同じ春、ただ一つの願いを胸に旅立つ
             花園を歌いたい
             私の知らない不思議な国で
             心の花園をリズミカルに歌いたい
             そして私が知っている3月11日の涙を、
             ふるえながら地中海へ流すのです             

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写真1~2枚目「機内食・雲上の夕陽(・ローマ上空)」
  3~4枚目 「ナポリのホテル&部屋」
  5~7枚目「部屋内の壁かけ」「ヴェスヴィオ火山とナポリの町」
  8枚目「子ども用木造シーソー」
  9~20 「アマルフィ海岸風景」

    (次回の更新は1月10日火曜日の予定です)

2012年1月 1日 (日)

新春のごあいさつ

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       あけましておめでとうございます
          本年もよろしくお願いいたします

 

 

 

 富士山の魅力はたくさんありますが、四季折々に多彩な表情を見せることも一つかと思います。富士山に魅せられて20年あまりになりますが、ここ数年、印象に残った光景に出会った時は写真におさめ楽しんでおります。今年も富士山の春夏秋冬の美を追い求め富士山麓を歩きたく思っております。

 

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富士山五合目から

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本栖湖の逆さ富士

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田貫湖の湖畔から

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朝霧高原のこいのぼり 

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本栖湖のシバザクラ祭りの朝焼け

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本栖湖のシバザクラ祭り

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精進湖パノラマ台(1325m)

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黄砂の山中湖パノラマ台(1085m)

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富士山の御中道から 

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精進湖からの子抱き富士

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龍のごとく昇る連凧(鳴沢村で)

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新幹線の車窓から

         (次回の更新は1月5日木曜日の予定です)

2011年12月25日 (日)

童話「ダイヤモンドと横笛」 (後編)

 

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 ぺぺは、嬉しそうに石と横笛を持ちました。すると、急にふわっと体が浮くような感じになったので、夢をみているのかなと、あわてて頭をこんこん叩いてみたり、ほっぺをひねったりしました。「いたっ!」と顔をしかめながら、横笛を吹いてみました。な、な、なんと美しいしらべと光が流れだしたのです。ぴぴぴ~ぽぽぽ~♪
あまりのまぶしさに、わぁ~まぶしい!!と、二人は目を閉じました。そしてー、再び目を開けると、男の人もチーズも消えていました。ぺぺは、あれれ?と首をかしげながら、あの男の人はどこへ行ったのって空を見上げると、青い空に小さな星が輝いているのが見えました。

 やがて日も暮れ、二人は村の家へ帰りました。ぺぺは、横笛をペチカの横に置こうとしゃがんだとき、なんとそこにチーズの袋があったのです。「お母さん、チーズがあるよ!」と叫びました。お母さんは、チーズ袋をだきしめ、涙を流して喜びました。その一粒の涙が手にもっている石にぽたりと落ちました。するとどうでしょう。石がかけたのです。小さいかけらがひとつ、床にころがり落ちました。お母さんはびっくりして、「ぺぺ、石が涙でくだけましたよ」と叫びました。ぺぺも、石が涙によってくだかれるのを知りました。

 ヒツジのメーが部屋に入ってきて、ぐるぐるまわりました。やがて目がまわったのか、ペチカの横で伏せをしました。すると、急に横笛が光りだしたのです。ぴぴぴ~ぽぽぽ~♪ ぺぺはびっくりし、あわててメーを見ると、なんとシッポと横笛が重なっています。わぁ~、とお母さんも腰をぬかしました・・・!
お母さんは、「メーが横笛にふれたので、この石のかけらは、メーにあげましょう」と言いながら、石を小箱に入れメーの首につけてやりました。それからは、メーの首にはいつも小箱がついていたので、ほかのヒツジは「なに、これ?」と珍しがりましたが、メーは、嬉しそうにいつもぴょんぴょんはねていました。

 クリスマスイブの夜、雪がしんしんと降っています。メーが熱をだしてしまいました。ぺぺは、「お母さん、メーが、メーが・・・」と叫びました。お母さんは、あわててメーの小屋へと走りました。「メー、メー、どうしたの」と抱きしめながら、「ぺぺ、早く病院の先生に見ていただきましょう!」と、メーを毛布でくるみました。
ぺぺは、横笛を腰にさしました。そして、ぐったりしたメーをそりに乗せ、飛ぶように山をくだりました。メーはお母さんに抱っこされたまま、じっと星を見つめています。病院につきました。「先生、メーを見てください!」と扉をとんとん叩きました。

 お医者さまは、「なになに、どうした?」とメーを暖かいストーブの近くへとつれていきました。先生はメーに薬を飲ませたり、お注射をしたり、温かいスープを口に入れたりしましたが、メーの熱はなかなかさがりません。ルミが部屋から飛んできました。メーをなでながら「メー、メー、どうしたの」と言いながら涙を流しました。
その一粒の涙が、メーの首にかかっている小箱にぽたりと落ちました。するとー、小箱のふたが開き、小さな石がぽろりとルミのひざに転がりました。あれ!ルミは宝石をさわるように石を手に持ちました。

 ぺぺは、メーの目が閉じられたままなので、心配になってきました。夜空を見つめると、雪はやんでいます。思わず、ルーシ星の神様に、「メーを、メーをお守りください」と祈りました。そして、横笛を吹きました。ぴぴぴ~ぽぽぽ~♪ 澄んだメロディが星空へと広がりながら、一つの星をさがすように流れています。ルミは「なんと美しいしらべでしょう!」と思わず、ぺぺの笛にふれてしまいました。

 メーの目は永遠に閉じられました。「メー、メー」とみんなは声をかけますが、可愛い目は開きません。でも、微笑んでいるようです。ぺぺは、「メーの魂はダイヤモンドの星へ流れていくんだー」と庭へ走りました。ルミもあとをおいかけました。
ルミの手のなかに、小さな石が残されていました。ぺぺは「ダイヤモンドと横笛」の話をルミにすると、ルミは「永遠にみんな一緒ね!」と嬉しそうに微笑みました。ぺぺも「そう、いつもみんな一緒!」と明るく答えました。クリスマスイブの夜空を見上げると、小さな星がゆるやかに飛んでいくのが見えました。

 それから、ぺぺはメーを思いときどきすすり泣きをしました。ぺぺの大切な友だちだったからです。でも、ある星のきれいな夜、遠くのほうで、手をふっているメーを見たのです。ぺぺは、思わず石をにぎりしめました。「そうだ、僕もお母さんも、ルミも石を持っている。永遠にみんなは一緒!」と強く思いました。ぺぺは、いつかメーとあえると信じ、もう悲しむのはよそうと心にちかいました。

 それから10年がたちました。ぺぺはりっぱなヒツジ飼いになりました。ヒツジの数もふえ、可愛い子ヒツジもいます。毎日、お母さんはチーズを作り、ぺぺはたくさんのヒツジの世話をいっしょうけんめいしています。そうそう、町に行くと、いつもルミにあいに行きます。そしてルミと楽しいお話が始まります。ぺぺは大きな木の下で横笛を吹きます。ぴぴぴ~ぽぽぽ~♪ 二人はいつも一緒です。今までも、これからも、ずっと一緒なのです。

                                             おわり 

 

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  (次回の更新は1月5日木曜日の予定です)

571_illust463_s            クリスマスの夜 
          寒風は星の輝きを研ぎ澄ませ
          ピカピカ飛び出すように光る
          光は星からのプレゼント
          見上げる者の顔に注がれ
          孤独な人が愛されると思える夜
          ああ、美しい星空よ!!

 
本年もたくさんのアクセスを頂きありがとうございました。
 来る年もどうぞよろしくお願いいたします。

   

2011年12月24日 (土)

童話「ダイヤモンドと横笛」 (前編)

 

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 アルプスのある村に、ぺぺという少年とそのお母さんが住んでいます。お父さんは、ぺぺの10歳のときに病で亡くなりましたので、ぺぺがお父さんのヒツジ飼いの仕事を引きつぎ、ヒツジの世話をします。毎朝、一匹ずつに近よって、鼻じるはでていないか、脚がまっすぐにたっているか、瞼をめくってピンク色かどうか、などこまかく見ます。とくに子ヒツジの「メー」に気を使います。メーはとてもがまん強く、しんどくても弱ったようすを見せないからです。
 ぺぺは、メーがあまり餌を食べなかったり、しょんぼりと下を向いたり、元気がないときは、町の病院へ連れて行きます。お医者さまは、メーの胸の音を聞いたり、目を見たり、脚をさわったり、毛がぼそぼそかどうかをみます。

 ぺぺはメーのからだを心配しながらも、病院にくるのがちっとも嫌ではありません。それは病院で仲良しのルミとあえるからです。ルミはお医者さまの娘ですが、ルミもぺぺやメーにあえるのを楽しみにしています。ぺぺの話し声や、メーの鳴き声が聞こえると、奥の部屋からとびだしてきて「メー、どうしたの?」とやさしくなでます。メーの診察が終ると、みんなで庭へでます。大きな木の下で、メーはお昼寝をし、ぺぺとルミは楽しくおしゃべりをします。ぺぺはヒツジのことや、森や湖で見つけた美しい花のことを話し、ルミは町のようすや、お友だちのことを話します。
 
 ある日、ぺぺとお母さんは、チーズを売りに町へ出かけました。お母さんの作ったチーズはとても人気があり、すぐに売り切れます。ぺぺは「おかあさん、ルミにチーズをあげてもいい?」とたずねました。お母さんは、「大きいチーズをお持ちなさい。お医者さまにもよろしくね」とにこにこしながら言いました。ぺぺはルミとあえると思うと胸がワクワクします。ランランラ~ンとスキップをしながら病院へと向かいました。

 ある店の前を通りかかったとき、テーブルに一本の横笛と小箱が置かれているのに気づきました。ぺぺは「なんと美しい横笛なんだろう」と目をみはりました。
ぺぺはお母さんのもとへ急いでもどり、「お母さん、ちょっときて!」と手をひっぱりながら、「あの笛を見て」と指さしました。

 お母さんは男の人に「なんと美しい笛でしょう」と横笛に手をさしのべました。
ぺぺもあわてて手をのばしたので、二人の手が横笛の上で重なりました。
するとー、横笛から光りとメロディが流れだしたのです。ぴぴぴ~ぽぽぽ~♪
  美しいしらべは、光の中へとひろがっていきます。二人はぼうぜんと立ちすくんでしまいました。

 ぺぺは思わず「お母さん、この笛を買って!!」と叫びました。お母さんも買いたいのはやまやまですが、お金がありません。「ぺぺ、この横笛を買うなんてできないの。ほれ、チーズもまだ売れてないし・・・」とつぶやきましたが、急に「ぺぺ、ついておいで」ときっぱり言いました。二人は男の人に横笛を返し、チーズ売り場へと急いで戻りました。お母さんは、「ぺぺ、ここのチーズを袋につめなさい」とせかしました。せっかく並べたチーズでしたが、袋につめなおし、それぞれの肩にのせました。再び男の人の店へとやってきて、お母さんは「このチーズで横笛をいただけないかしら?」とお願いをしました。お母さんは、チーズがないと困るのはわかっていましたが、ぺぺの喜ぶ顔が見たかったのです。

 男の人は「これは魔法の笛です」と言いながら、テーブルの上の小箱を開けました。二人は箱の中をのぞきながら、“ああっ”と小さく叫びました。石のかけらが二個入っています。男の人は、その小さな石を手のひらにのせながら、宇宙のかなたにある「ルーシー星」のことを語り始めました。

 「私はこの小さな石を運ぶために、ルーシー星からやってきました。ルーシー星は、輝くダイヤモンドの星ですが、まだ鈍い光りです。神さまは、「生きものの美しい魂がルーシー星にふれることによって磨かれ、いつかはダイヤモンドの輝きになるでしょう。そのために、おまえが美しい魂をもっている人を見つけ、その人にダイヤモンドの石を渡しなさい。なぜなら、その石をもった人の命がとだえても、魂はルーシー星へとやってきてくれるからです」と、私に石を預けたのです。

 しかし、私は、どの人に石を渡せばいいのか分からなかったので、神様に「誰に石を渡せばいいのですか?」と聞きました。すると、神様は、「横笛も持っていきなさい。昔から、この横笛にふれた人の魂は美しいと言われているから、横笛にふれた人に石を渡せばいいのです」と、私に横笛も持たせました。

 男の人は、「ダイヤモンドの星と横笛」のいきさつを話し終えほっとしたのか、にっこりと微笑みました。それからぺぺとお母さんを見つめ、「どうぞ二個の石をお受けとりください。そしてこの横笛もどうぞ」と、二個の石と横笛をさしだしました。お母さんはびっくりしながら、「とんでもないです。こんなに美しい石や横笛をいただくことはできません。でも、チーズと交換ができるなら・・・」と、男の人にチーズをさしだしました。男の人は「そうですか、それではいただきます」とお礼を言いました。

 男の人は、二人のそれぞれの手に石をもたせながら「この石はかたくてくだけることはないのですが、ひょんなことで小さくくだかれることがあります」と、にっこりしました。 二人は目を輝かせながら「それってどんなとき?」とたずねましたが、男の人は「今はひみつですが、もし石がくだかれたら、その石を横笛にふれた人に渡してください。その人の魂は美しいからです」と告げました。

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     (次回・後編の更新は12月25日の予定です)