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2010年3月18日 (木)

京の町と里を訪れる旅 ★京都めぐり(1)

 

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 京都にいる友人二人が60歳を迎える。還暦祝いの知らせを受け、いいなぁ~と言うと「すーさんも私たちの仲間になり、一緒にお祝いをしましょう~。京都観光を兼ねて来てください」と嬉しいお誘い。それではと、お言葉に甘え私も60歳になろう~と決心。こんな具合に話がとんとんと進み、三人は同級生として還暦祝いをすることに。それからの私は、不思議と心身ともに若返ったような爽快感を覚え、ルンルン気分で京都へ。新幹線が熱海を過ぎると富士山が見えだす。雲ひとつない青空の下、冠雪の山肌が日光で反射し山裾の緑の色も春めいている。頂を視界の中に取り込み、再び富士を見つめると絵葉書そのもの。うおー、綺麗。

 京都の八条口改札で二人と落ち合い、早速、市内へGO-。私の希望通りに京を巡ってくださるなんて夢のよう~。五木寛之さんの「親鸞」を読んだこともあり、先ず西本願寺へと。西本願寺の正式名は「龍谷山 本願寺」。浄土真宗本願寺派の本山で親鸞聖人が開基した古い寺。阿弥陀堂・御影堂をはじめ、桃山文化を代表する建造物や庭園が今日まで大切に受け継がれ、1994年に世界文化遺産に登録されている。おやや、大きな木だなぁ~。樹齢約400年の大銀杏は根っこを天に広げたような形。京都市の天然記念物に指定されているが、耐火力が強く、本願寺が火災にあった時も火の粉を浴びながら生き抜いてきたらしい。
 
 本願寺の南にある唐門(からもん)へと廻る。牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀など数々の彫刻が施された豪華で精巧な造り。あまりの美しさにうっとり。休憩所でお茶を一服頂く。 さてー、親鸞聖人が1262年に90歳で往生されたとき、東山の大谷に石塔を建て遺骨をおさめられたが、墓所はきわめて簡素なものであったため、親鸞の末娘の覚信尼(かくしんに)が大谷の西、吉水の北にある地に親鸞聖人の遺骨を移す。これが大谷廟堂で本願寺の元であると知る。

 廟堂のわき道を上って行くと清水寺へとまわれるが、細い道なので車は通れない。そこから一人で散策することに。紅白の梅の花が美しい清水寺に着く。桜の頃ともなれば清水の舞台も人であふれるが、今は遠景を眺めながら舞台の端から端へと自由自在。清水寺の山号は「音羽山」で本尊は千手観音。本堂には巡礼者、学生、若者がいっぱい。もう何十年も前のことだが、この寺でひいた“おみくじ”が大凶だったので、今回“おみくじ”はパス。清水道の両側には観光客向けのみやげ物店が軒を連ねている。その坂道をだらだらとおりると七味家本舗が角地にあり、そこを曲がると石畳の坂道、産寧坂(三年坂)へと。産寧坂の周りは世界遺産にも登録されている八坂神社、円山公園、高台寺、法観寺などが集まる風流な所。京ならではの土産物店、陶磁器店、料亭などを見やりながら下ると二年坂の石段に連なる。静かで活気ある道の先に鳥居が見える。ここまで一人で散策してきたが、車組みの友人達と無事に合流。ホッ、携帯のおかげかな?

 鳥居をくぐり坂本龍馬と中岡慎太郎の墓へと。京都霊山護国神社の霊山(りょうぜん)墓地内には、明治維新で殉難や病没した約400におよぶ人々の墓碑がある。明治2年9月に旧高知藩主山内豊範が、坂本龍馬と中岡慎太郎らの祭神を祀った墓もある。そう、それはー、1867年11月15日、午後6時ごろ、中岡慎太郎が近江屋に居る坂本龍馬を訪問。その二、三時間後、会談中の彼らは刺客の襲撃に遭う。坂本龍馬は額を横に斬られ、二の太刀は右の肩から左背骨にかけ、三の太刀で更に前頭部を裂かれる。中岡慎太郎も全身に刀傷を負い二日後の17日に息を引き取る。龍馬が32歳でこと切れたとすれば、なんだか哀れ。坂本龍馬の墓は高知にあると思っていたので京都と知り意外に思う。京都か高知か、どちらで眠りたかったのかしら? 高知に帰って面倒をよく見てくれた乙女姉さんの近くが良かったのでは? 坂本龍馬の墓には綺麗な花が添えられ人気の高さがうかがえる。大河ドラマ「龍馬伝」を毎回見ているが、龍馬の初恋相手の平井加尾の石碑は、高知市山手町の住居跡にあるらしい。う~ん、やはり別々のよう。
 
 人力車に乗り八坂神社まで行くことに。京の町を人力車で走るのが夢だったのでルンルン気分。人力車って風情があるし、町の眺めも良いから単純に嬉しい。人目が気になるかと思ったが地元の人は慣れているので誰も振り返らないよう。10分コースで3000円。人力車をこぐ人は元気の良い若者でサービスもバッチリ。うおぉぉ~走り出す。人が後に乗っているので跳ねないで摺り足で走る。柵にかける手の位置で、力のバランスをとり効率よく前方へプッシュ。下り坂は楽だが、のぼり坂になると客側に向きなおし、背中や腰で押すようにヨイショ。

 さあ、次は嵯峨野の寂聴庵へと向かうが、途中、清涼寺(嵯峨釈迦堂)に立ち寄り”あぶり餅“を頂く。あぶり餅は、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあと白味噌のタレをぬった餅菓子であるが、やはり美味しい!!本堂は1701年、徳川五代将軍綱吉、その母の桂昌院らの発起で再建される。満開の梅が美しい一角に、「一切経堂があり、法輪にお釈迦さまがお説きになった経典が収められている。法輪を一回転さすと、一切経を読んだのと同じ功徳が得られると聞き、法輪を一回転(100円)さす。頭もすっきりしたような感じ。あれれ~、案内板に「峠を越えても先がある」なんて書かれている。やれやれ~。

 寂聴庵には一度訪れたかったので夢見心地で佇む。門前の赤い椿が印象的。法話、写経の日は門も開かれているのだろう。物音一つしない静寂のなかで門は閉じられている。寂聴さんはご不在だろう。渋谷で講演会もあるので、そこでお目にかかろう。辺りを見れば、隣接の竹やぶは売り地になっていたり、新しい道路が出来ていたりで、イメージより明るい雰囲気に少し戸惑いながら庵を後にする。
 3月17日、渋谷で寂聴さんの講演会があった。今年88歳になられるとは思えないお元気ぶり。秘訣は、好奇心やワクワク感を持ち続けることと、酒と肉は欠かさない毎日だそう。「私は死ぬまで完成などしないでどこか未熟な、でも力のあふれたものを書きたい。おそらく死ぬまでこの傾向は治らないでしょう」と言われるように、これからも益々、精力的にご活躍されること間違いなしと思えた。

 「化野(あだしの)念仏寺」の拝観は5時で終了。残念だが次回の楽しみに。この寺は浄土宗で阿弥陀如来の坐像が安置され、付近から出土した多数の石塔や石仏が立ち並ぶ。千体にも及ぶ無縁の石仏に灯がともされる「千灯供養」の日には、仏教的な無常観が漂っているのだろうか。 嵯峨野巡りの小路に入ると竹林に囲まれた道が続く。そんな青竹の中に野宮神社の黒木(くらき)鳥居が光っている。杉根のついた鳥居のことで、鳥居の形式としては極めて原始的で日本最古のもの。鳥居の両側の小柴垣は平安の風情を現在に伝えている。商売繁盛、交通安全、財運向上、良縁結婚と御利益もバラエティー。嵯峨竹の美しさに包まれるなんて幸せ者。嵯峨野で過去を学び、未来へと向かう動きも内面で感じる。そう、微風を感じ、光を感じ、心から歓びたいなぁ~。

 夕闇迫る中、車は祇園の石堀小路にある「田舎亭」へと急ぐ。今夜の宿となる田舎亭は、築140年になるという元料亭で、かつては、映画監督や銀幕のスターたちが長期滞在していた映画関係者の常宿だったそう。京の風情が漂うしっとりした旅館で、床の間や屏風などにも歴史を感じる。ゆっくりくつろぎたいなぁ~。京都東山花灯路に明日から灯がともされる。ゆらゆらと幻想的な町並みが浮かび上がることだろう。近くの料亭で懐石料理を頂きながら還暦祝い、乾杯!!みんなの息づかいが感じられるほど間近で語り合う。庶民的な時間と空間にいるような、そんな感覚を楽しむ京の夜。再会は忘れ難い思い出となりそう。

 

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 写真2枚目「西本願寺・銀杏の木」
  3~4枚目「清水寺・清水の舞台」
  5~6枚目「産寧坂(三年坂)・二年坂」
  7枚目「坂本龍馬と中岡慎太郎の墓」
  9枚目「清涼寺・一切経堂の法輪」」
  10名目「寂聴庵」
  11~12枚目「野宮神社・嵯峨野」
  13枚目「祇園・石塀小路」

          (次回の掲載は3月25日木曜日の予定です)

 

2010年3月10日 (水)

春の富士山麓の旅 ★ 忍野八海(おしのはっかい)

 

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 さあ~、今日も良い天気。いよいよ、富士山の東側の忍野村(おしのむら)にある「八つの海」の伝説を追い求め、忍野八海(おしのはっかい)へと出かける。「八海」の名は、人々が富士登山の際に八つの海巡りを行ったことから名づけられたと言われる。その昔、忍野盆地に「旧忍野湖」が横たわっていたが富士山が大噴火し、そのとき流れた溶岩流によって湖は「山中湖忍野湖」に分かれてしまう。忍野湖は、川の浸食や堀削排水され長い年月のすえ枯れてしまったが、富士山の湧き水池として忍野八海(出口池・お釜池・底抜池・銚子池・涌池・濁池・鏡池・菖蒲池)など八つの池が残る。池の水は富士山に降り積もる雪解け水で、地下の溶岩の間で歳月をかけてろ過された綺麗な水。このような澄んだ水をたたえる忍野八海は、昭和9年に国の天然記念物に指定され、昭和60年には全国名水百選にも選定されている。昔から「神の泉」と崇められてきた八海にはいくつもの「伝説」が語り継がれているが、その一つの伝説を簡単にー、
八海その1:
 出口池(でぐちいけ):面積 1,467.7㎡。この池は忍野地域の出口にあることから名付けられた。溶岩のすきまから清浄な水が湧き、自然の豊かさがとても残っている池である。、富士登山をする行者や道者たちは、この水で汚れをはらい、水を携えることにより無事に登山が出来るという言い伝えがあった。石碑に「あめつちの、ひらける時に うこきなき おやまのみつの 出口たうとき」の和歌が刻まれ、八海めぐり第1霊場としてまつられている。
八海その2:
 お釜池(おかまいけ):面積24㎡。この池は釜の中で熱湯が沸騰するように、水が湧き出ることから名付けられた。小さい池だが底は7mと深い。、この池のほとりにあった家に年老いた父親と2人の美しい娘が住んでいた。父親は百姓をし娘たちは裁縫や洗濯をしていた。ある日、妹娘が洗濯をしていたところへ、突然大蟇(ひきがえる)が1匹あらわれ、その娘を強引に水中に引き込んでしまった。それを知った姉娘は、畑仕事にいた父親を呼んで妹娘の救出をはかったが、娘はかえらず遺体も浮かんでこなかった。父親と姉娘はお釜池のほとりにある家にとどまり、不幸な妹娘のめい福を祈り続けた。石碑に「ふじの根の ふもとの原に わきいづる 水は此の世の おかまなりけり」の和歌が刻まれている。
八海その3:
 底抜け池(そこぬけいけ)面積 208㎡。浅い池だが泥が堆積しているので深さは不明。、この池で物を洗うとき、あやまって手を離すと渦に巻き込まれ行方不明となり、失われた物は池の底の穴をくぐってお釜池に浮かび上がってくると言われ、村の人たちはこの池で物を洗うことを神様が嫌うと恐れた。石碑に「くむからに つみはきへなん 御仏の ちかひぞふかし そこぬけの池」の和歌が。
八海その4:
 銚子池(ちょうしいけ)面積 79㎡。池は長柄(ながえ)の銚子に似ていることから名付けられている。、ある家の花嫁が結婚式の最中におならをした。その音がすごく大きかったので、年若い初心な花嫁はこれを深く恥じ、結婚式の席にいたたまれず、すきを見て席をぬけ出し、銚子を抱いてこの池に身を投げた。その後、花嫁の履いていた草履が池の水面に浮かんできたと言われ、ときおり美しい女の姿が、生きているように池の底に映って見えると言われた。この悲しい伝説がもととなり、今日では縁結びの池として伝えられている。石碑に「くめばこそ 銚子の池も さはぐらん もとより水に 波のある川」の和歌が刻まれている。
八海その5:
 湧池(わくいけ)面積 152㎡。湧池から眺めた富士山の景観は素晴らしい。、富士山が噴火したとき、人々は焼け付くような熱のため大変苦しみ、のどの渇きや人家の火事、また野火を消すために、人々が水を求める声が天地の間に広がった。このとき、天から「わたしを信じなさい。そして、永久にわたしをうやまうならば、私がみんなに水をあたえよう」と、「木花咲耶姫(このはなさくやひめのみこと)」の声がした。まもなく溶岩の間から水が湧き出し池となった。人々はこの池を「湧池」と呼び飲料水や水田に用いて今日に至っている。石碑に「いまもなほ わく池水に 守神の すへの世うけて かはれるぞしる」の和歌が刻まれている。
八海その6:
 濁池(にごりいけ)面積36㎡。 川と隣接しており池として景観がよい 。、もとは澄んだ水をたたえ飲料水となっていたが、ある日、乞食のようなみすぼらしい行者がきて、池の地主の軒先に立って一杯の水を求めたとき、その家の老婆が無愛想に断った。そこで、この池は急に濁ってしまったと言われ、この濁り水を器に汲み取れば澄んだ水に変わるとも言われた。石碑に「ひれならす 龍の都の ありさまを くみてしれとや にごる池水」の和歌が刻まれている。
ハ海その7:
 鏡池(かがみいけ)面積 144㎡。底深く池の水は濁っているが、風の無い時には“逆さ富士”が映るのでこの名がつけられた。、この池の水はすべての事の善悪を見分けるといわれ、部落内に、なにかもめ事が起きて事のおさまりをはかろうとするとき、争っている双方が池の水を浴び身を清めて祈願したと言われた。石碑には「そこすみて のどけき池は これぞこの しろたへの雪の しづくなるらん」との和歌が刻まれている。
八海その8:
 菖蒲池(しょうぶいけ)面積 281㎡の細長い形の池で、昔は菖蒲が周辺に繁り香りが立ち込めていたと言われる。現在は泥沼地となり昔の面影はない。 、この池の近くに仲の良い若夫婦が住んでいたが夫が肺病にかかり、妻は夫の世話をしたが夫の病は重くなるばかり。妻はもう神仏に助けを求める以外にないと考え、この池の水を浴びて身を清め祈願した。37日目に「池の菖蒲をとって夫の身に巻けば、夫を苦しめている病魔は必ず退散する」という神のお告げがあり、妻がそのとおりにすると、夫の病も日増しに良くなり全快したと言われた。石碑には「あやめ草 名におふ池は くもりなき さつきの鏡 みるここちなり」との和歌が。

 かなり以前になるが八海を訪れたことがある。今も脳裏に焼きついていることは、澄んだ湧き水,神秘的な海で、久しぶりに眺めた八海は,昔の面影を残しつつも変化が見られる。池にニジマスや鯉などが放流され、魚のエサや富士山の雪解け水も売られている。そう、富士山の水のアッピールがよりされているって感じ。ふと頭によぎる景色。ああ~、あのときの自然は私の内心を霊感したもの・・・。だが、過ぎし日の喜びのことは言うまい。多くの観光客で活気ある八海も又素晴らしい。さて、伏流水は東洋医学研究者にも魅了する水。玄武岩が形成された地盤の伏流水で、血糖値がさがり高血圧や動脈硬化も改善されると言われたり、新陳代謝が活発化するため肌が綺麗になった、体重が減った、などの報告も。ええっ、お肌にも、体重管理にも良いの?八海の中央辺りに、水深7mの人口池の中池ある。昔からあったのかなぁ?この中池は、噴火が積もった灰が草木を伸縮させ、いつしか湧水の通り道を作り八海の池に通じているらしい。

 何といっても忍野富士と言われるだけあり、山里風景は素晴らしく富士山や澄んだ水を見ているだけでうっとり~。今回は、更に奥地にある「鏡池」「菖蒲池」にも足をのばす。広々とした空間に休憩場やみやげ店が憩いの場所。池のほとり、木立の下に微風が流れる山里風景に癒される。「はんのき資料館」に入り、最古の茅葺屋根の民家を見学。当時、使用した道具などが置かれ昔の面影を誘う。大きな庭園の一角に川がある。“ニジマスに自由に触れてください”と書かれているので、早速、川に手を入れニジマスを追いかけるが一匹も触ることができない。川魚ってすばしこいんだなぁ~。残念だが、八海の伝説に大いに触れたのだから、それ以上の欲は禁物。八海の近くに「忍草浅間神社」があり、木花咲耶姫など三神が祀られている。伝説にしばしば登場される山の神さまは、谷または丘の上に漂う雲のごとく、富士山麓を守っておられるよう~。

                         富士の裾野

                  富士の裾野に海が・・・
                  だから、 心はいつも自由に泳ぐ
                  富士の裾野に花薗が・・・
                  だから、 心はいつも蝶になる
                  富士の裾野に村が・・・
                  だから、心はいつも愛で満ちる
                  

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 写真1枚目「お釜池」
  2枚目「底抜け池」
  3枚目「銚子池」
  4枚目「湧池」
  5枚目「濁池」
  6枚目「鏡池」
  7枚目「菖蒲池」
  8枚目「中池(人口池)」
  11枚目「新名庄川」
  12枚目「忍草浅間神社」

         (次回掲載は3月18日木曜日の予定です)

2010年3月 3日 (水)

春を感じる旅  ★ 富士山麓の湧き水と魚

 

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 富士五湖の一つ、山中湖の近くに湧き水で有名な「忍野八海(おしのはっかい)」がある。富士山の雪解け水が地上に湧き、その綺麗なわき水に命が宿り、魚などを育む水となっている。水は川となって流れ大地を潤し私たちの暮らしを豊かにする。そんな神秘な水がふつふつと湧く「忍野八海」の近くに「湧水の里(ゆうすいのさと)水族館」がある。知っている魚の繁殖?など、楽しい内容がいっぱい。大人も子ども楽しめるって、興味津々。行ってみよう~。

 魚類は繁栄するために産卵や子育てにいろんな工夫を重ねる。その繁殖の方法も色々あるから不思議。命を受け継ぐために魚たちが考え出した繁殖の方法とは?まず~、ユニークな魚として「パール・グラミー」。この水族館では見られないが、全体に白い斑点がある全長12cmほどの魚。長い腹びれを腕のように動かし泳ぐ。パール・グラミのオスは繁殖期が近づくと、口から粘液をだして水面に泡を作る。その泡が巣となる。巣が完成するとオスはメスを巣に呼びよせ産卵させ、その後、オスの子育てが“泡の巣”で始まる。オスは卵がふ化するまで巣のそばから離れない。巣作りから卵の世話までするって、うぉぉ~責任感が強そう~。次に登場する魚は、卵を産まずに子供を出産するサメやエイ卵を産むよりも子供を産む仲間としてエイ科の「モトロ」もそう。体内で卵がふ化し、2~4ヶ月後、親とほぼ同じ形の子供となって産まれる。親の体の割には大きな子供だから、一度に産まれる子供も数匹がやっとこさ。だが、卵よりも敵に襲われる危険率は低い。そう、生き残れる確立はぐ~と高くなる。いいなぁ~安心ってことは。

 愉快な魚は「ガラ・ルファ」。先だって、この魚のことがテレビで放映されていた。温泉に放流されたガラ・ルファが足湯する若者の足に集まり、指やかかとの垢を食べていた。キャッキャッと喜ぶ顔が印象に残っている。この水族館でも人間の皮膚をかじるガラ・ルファ習性を指で体験できる。ガラ・ルファが放たれた水槽に指をいれるとガラ・ルファが寄ってくる。そして古くなった指の皮膚を食べる。ガラ・ルファは、37度の高い水温でも生息可能な魚。アトピー治療にも使われドイツでは医療行為としても認められている。私も指をそっと水槽にいれてみる。うおぉぉ~、たちまち魚が指に寄ってくる。うぅぅぅ、こそばい、こそばいが面白い。水槽に指を入れたり出したりを繰り返す。ガラ・ルファは雑食性でプランクトンや小さな虫を食べる。人間の角質を食べるのは、温泉ではエサとなる生物が少なく他に食べるものがないから。そう、人助けをするってことだから水槽からつまみ出したり、つまんだりしてはいけないね。はい、反省!!

 お昼時、そろそろお腹もすいてきたころと前方を見ると、あれれ、魚のご飯が並んでいる。食欲はわかないが興味はわくピラニア→他の魚類が主食。ヤマメ→岸のそばにいる昆虫類が主食。アユ・ハゼ→石についたコケが主食。ゲンゴロウブナ→水中のプランクトン。コイ・メダカ→昆虫、水草、プランクトン。私の昼食→そば。上流の川の石についている「トビケラ、カワゲラ」をはじめ、たくさんの昆虫たちが魚の重要な餌となっている。そう、餌を生み出す仕組みの条件は昆虫で、その昆虫の餌は森の木の落ち葉。落っ葉が川に流れ有機物に分解されたもの。そう、自然の餌は動物プランクトンのような小さいものやエビや魚肉など色々。水族館では、それに近い栄養豊富なエサを人工的に作り与えている。

 「魚へん、あなたはいくつ読めるかな?!」の質問コーナーへ。カタカナで読み、その魚の特徴などを知るのも楽しい。挑戦してみよう~っと。

鮎(アユ)  石に付いた藻を食べ、ほとんどが一年で死んでしまう短命の魚。
鮒(フナ)  鯉の仲間で金魚はこれが元になって作られた魚。
鮭(サケ)  産卵のために生まれた川に一生懸命上り産卵後は力尽きる。
鯉(コイ)  20年から80年生きる生命力のある魚。
鰻(ウナギ) 昼間は石の下や穴に隠れ夜に行動する魚。
鯰(ナマズ) やはり夜に行動、大きな口で魚やカエルをパクッと一飲みする。
鯊(ハゼ)  最も種類が多い淡水魚。体の割りに口が大きい。釣り魚で有名。
鱘(チョウザメ)蝶鮫とも書き、湖や川底の小さな生き物や魚の卵を食べる。
蠏(カニ)  蟹とも書く。誰もが知ってる馴染み深い魚。
蝦(エビ)  海老とも書く。ゆでると体が丸くなることから来ている。
川桝(カワマス)山梨では自然の川や池にはいないので養殖されている。
和金(ワキン) フナの改良品種。大きい金魚の意味で“かわいい~”

 いろいろと名が変身する魚もある。ヤマメが海に下ると“サクラマス” アナゴが海に下ると“サツキマス”と呼ばれる。桜やサツキの花が咲く頃に川へ戻って来たことから名がついたらしい。サケもまた産卵のために故郷の川に戻ってくる。次の命を守るため命がけの旅をする。間違いなく生まれた川に戻れるのは生まれたときに記憶した”水のにおい”と”森のにおい”にひかれるから。湧き水をかぎわけ産卵し産卵後は疲れ果てる。なんだか可愛そう~。さて、ザリガニはエビ?それともカニ? 一体どっちなの?実は、ザリガ二はエビの身体を持ちカニのようなハサミを持つことから「エビザニ」とも言われる。が、実際はエビ。
 
 
その朝、ふと、山中湖の水族館へと足が向いたのは、魚に安らぎを求めたのかもしれない。が、何といっても地元の水族館。魚の種類も少なく淡水魚だから鮮やかな魚もいない。きらめきに乏しい雰囲気って感じだが、一切が味気ないというわけではない。魚の息吹がこだまし、魚の生死にかかわる自然を見る。庭園から美しい富士山を見る。そんなユニークな水族館の近くにある忍野八海は、八つの池で構成されている。一つ一つの池に伝説もある。昔話を求め再び忍野村を訪ねたい。忍野八海に水が湧くごとく、私の好奇心もふつふつ湧いてくる。

     そこでは昔なじみの魚たちが
     水槽の白いあわと戯れる
     笛の音のように飛び上がり
     ぐるぐる回る
     魚たちは悦び ひしめいて
     大きく口を開いては
     ぴゅん ぱくっ、
     大きなあわを 一つはきながら
     次第に大きく光りだす
     数々の魚は太陽の大きさにならんと
     夢中で渦を巻き
     ぷく ぷく、お腹をふくらます
                    

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      写真イラストの魚「パール・グラミー」
          2~3枚目「水族館」
          4~5枚目「ガラ・ルファ」
          6枚目「アルビノ」
          7枚目「ワキン」
          8枚目「ペステル」
          9枚目「川の魚(深場)イワナ」
          10枚目川の魚・(源流)アマゴ」
          11枚目川の魚(上流)」
             12枚目「モトロ」
                     13枚目「山中湖のオオクチバス(外来魚)」

                        (次回掲載は3月10日水曜日の予定です)

  

2010年2月25日 (木)

潮風と春を感じる旅 ★ 熱海~初島(はつしま)へ

 

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 昨春、熱海から相模湾の海を眺め大島に渡りたくなった。翌日、大島行きの船が桟橋から離れる瞬間、船と港をつなぐ鎖と、時をつなぐ鎖とが放たれたような気がした。鎖は過去の夢につながった。それは太平洋の島へ渡ったときの情熱、希望、願望に満ち溢れていた頃の夢で、今は失せてしまった懐かしい宝石探しの夢であった。そう、そんな昔の夢を思い出しながら大島へ、そして、赤い太陽、青い海、緑の樹々が浮かぶ神津島、式根島の旅へとつながっていく。それ以来、再び私は昔のように、海原を渡る準備を心の奥に始めていたのかもしれない。そんなある日、「初島」へと心が動く。初島は周囲約4キロメートル、最高地点51メートル,人口が約250名と知れば興味がわく。どんな島なのだろうか?!

  熱海からも視界に入る初島は、静岡県熱海市の管轄下にある。伊豆諸島は東京都なので“おやや”と思う。熱海港から初島へは高速船で25分だが、都会のざわめきからは想像もできないスローな島時間が流れているに違いない。初島は近いなぁ~。そんな思いのある朝、観光バスに乗り熱海~初島へと向かう。雨は降らずとも陽射しもない空模様。だが、昨日までの悪天候を思えば曇り空でも嬉しい。うつらうつらと眠りにはいり、気がつくと初島が水平線に浮かんでいる。うお~見える島が!!やがて、バスはヤシ並木をぬけ熱海桜が美しい桟橋へと。

 ハイビスカスが描かれたハイカラな「イルドバカンス三世号」に乗船。カモメが舞い乱れている。ふと思う。熱海のカモメはあまり大きくなく、白いお腹もオレンジの足も綺麗だなぁ~。カモメは熱海でとどまり船は初島へ向かう。大波小波と波が荒い。船もそれにあわせて大揺れ。私はデッキにいたが、客席室へ下りてみると、船酔いのためか青ざめた顔の人があちこちに。すごい揺れだから船酔いも当然だが、意外なことに私は平気。一人旅なので、「自分は酔わない」と強く暗示をかけていたのかも知れない。初島に接岸する。小さな島の周り一面が海。ああ、丸ごと島って感じ。小波で水面の透明感もイマイチだが、波もおさまり、日が昇り高くなるにつれコバルトブルーに変化していくのだろう。岸壁で「チビ」らしき魚を釣っている人たち。美しい海岸線、素敵なホテルやレストランも見える。ああ~、島風景はいいなぁ~。さてっと、ボチボチ島の探検を楽しもう~。

 バス内で親しくなった三人の女性と一緒に歩き出し、港から10分のところにある「シーフードイタリアン」のレストランへと。まるで海外を思わせるロケーションの中、地元で獲れた鮮魚料理を中心とするレストランである。スパゲッティにケーキ、コーヒーをいただく。見知らぬ人と打ち解け、まるで昔からの友人のように、お喋りしながら食事ができたのが嬉しい。4人は島の中央へと歩き出す。坂道の途中に「熱海市立初島小・中学校」がある。小中併設って珍しいなぁ~。児童は13名、生徒は10名、教職員は12名。重点目標、「進んで学ぶ、他を思いやる」と書かれている。海が望めるのどかな環境で学べる子どもって幸せだろうなぁ~。

 平成9年、初島小中学校ログハウス校舎が完成。生徒は卒業すると下宿して本土の高校に通う。歴史は、明治19年熱海村尋常小学校分校として創立し、47年に独立。昭和55年に作詞家の阿久悠さんに校長先生からの手紙が届く。分校から独立して以来、校歌がないことや、校歌を作ってもらうために、子供たちが魚の手伝いをして資金を貯めているなどが書かれていた。阿久悠さんはみんなの熱意に共感し、作曲家の三木たかしさんと、無料で校歌を作ることに。    

 「初島公園」では、ソメイヨシノ、河津サクラ、大島桜が優雅に咲いている。周りも、見つめる人の眼も、空気すら桜色に染まりそうな雰囲気である。“あれれ、”リトルプリンスの大輪も鮮やかに咲いている!!天の導きか、それとも何かの賜物かは分からないが、初島でリトルプリンスと再会したのだから感動もの。この花は南アフリカ共和国の国花で、数年前、南アフリカへ旅をしたときに出会い、赤と白の大輪の美しさに胸が詰まったのを今も脳裏に焼きついている。懐かしいなぁ~。麗しのリトルプリンスさん、あなたはどこから来たの?って呟く。水仙や菜の花の香が放つ一角を過ぎると、初島アイランドリゾートへ。亜熱帯の植物が生い茂るアジアンガーデンの緑の芝生に包まれるようにハンモックがあちこちに。潮風に吹かれながら一眠りなんて気持ち良さそう。カフェでひとときを過ごしたり、大きなヤシの木の下で休んだりと、島時間を楽しめる工夫が一杯。遊歩道から海岸へと下りてみる。岩が多く海水浴には向かないが、松と岩と波が戯れているような浜辺。誰もいない、誰も見てない空間っていいなぁ~。

 初島は今では観光地のようだが、大正10年、与謝野晶子が初島を訪れたときは、「行く人の稀な島へ特に船を雇つて出掛けると云ふのは、我れながら醉興なことだと思ひました。」と紀行文に書かれているように、当時、初島は「観光地」ではなく、古くからの集落によそ者が訪れるというふうであった。島民の生活も、江戸時代から島内の戸数は41戸前後で、この戸数が現在まで続いている。島内の耕作地や生活用水が限られることから次男以下は島を出て、男子がいない場合は婿を取り、41戸と一定の人口を維持するという慣習があった。島内に由来がある家系ではこの慣習が受け継がれてきたが、近年では長男以外のものが後継ぎになる例もあるらしい。みんな海を渡り何処かへ巣立っていったのだろうなぁ~。

 森の中でひっそり佇む「竜神宮」には、海の中から現れた剣が祀られていたよう。大魚祈願の神としての伝説もー、「昔、不魚が続き魚師が嘆き明かしていると海の中から剣が現れた。それ以来、島には大魚が続いた」などの言い伝えもある今でも大魚祈願のため、毎年4月3日に竜神宮さまのお祭りが行われる。島民は海でとれた鯛やぶりをお供えし、大魚鉢巻を巻いてサクラの木の下で酒を飲み交わすならわしがある。そ~れ、それ、大漁~っ、大漁~っだ~!!
 最後に、無料の海の資料館へと。島内に点在する8つの縄文遺跡からの出土品をはじめ、世界最高の潜航深度を誇る潜水調査船「しんかい6500」10分の1スケールモデルや、初島沖南東6km・水深1174mの地点にある深海底総合観測ステーションからの映像が見られる。又、モニターもあったりで楽しめる。

 与謝野晶子が島内を散策した「足取りをたどる散策ルート」で歩いていたが、一人のんびり楽しむコースに切り替える。それにしても式根島でも与謝野晶子の足跡を見たのだった。昔は、大型船もジェット船もない時代。島へ渡るのも大変だったと思う。さあ、熱海へ戻ろう~。帰路の船もゆ~らゆ~ら大揺れ。デッキで潮風に吹かれ、大島、伊豆半島、雪をかぶった箱根の山を眺めていると、手足もからだも冷え切る。が胸は熱い。されど眠気で私の目は猫のように細く細く~。

 バスは熱海梅園へと。樹齢100年を越える梅の古木にためらいもなく近づく。どっしりとした手触り。私がどんなに近づき触れようが微動だにしない。大丈夫ってことを梅は言いたげ。毎年、花をひらき、かがやき、香り、親しげに人々を魅了する梅の花。あぁ、素晴らしき哉、強き生命力!!思えば、初島で海や樹木に惹かれ、今、夕暮れの輝きに薫る梅を慕う。そう、潮風に吹かれ、美しき感激にうち震える島旅であったなぁ~と振り返る。

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 写真1枚目「初島」
  2枚目「初島港」
  4枚目「初島小・中学校」
  7~8枚目「リトルプリンス」
  10枚目「ゴクラクチョウカ」
  11枚目「竜神宮」
  12枚目「しんかい6500」

                 (次回の掲載は3月3日水曜日の予定です)

2010年2月18日 (木)

雪の山里への旅 ★飛騨高山~白川郷

 

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 東京にも雪が降り道路はカチカチに凍った。歩くと滑るので“やれやれ“と足元に気を集中させる苦労もあったが、それもたったの数日。日本海側の街ではさぞかし大変なこととと思いつつ、詩情豊かな山里の情景が目に浮かぶ。山梨県の西湖にある「癒しの里」の茅葺屋根の集落へは足を運んだので、一度、冬の白川郷・五箇山集落へも行ってみたい。真っ白な茅葺屋根に光があたり、家屋がほんのりと闇夜に浮かび上がる光景。それは訪れてくるものを懐かしい昔へと誘い、冬の風物詩として感動を与えるに違いない。

 行ってみよう~、友人とツアーに参加。当日の朝6時、東京駅から新幹線で長野へ飛ぶ。雪景色の上田駅に降り立ち“やっぱり雪ね~”と、喜びと寒さに複雑な心境。観光バスがシンプルな上田城を通過する辺りから、山、木立、町と変化する風景のすべてが白の世界。簡単に人を近づけない厳しさと、人を惹きつけるやさしさが交差する。風穴の里からアルプス街道平湯へ。“は~い、ここで休憩”と添乗員の一声。青空の下、雪をかぶった樹木も寒そうに息をひそめている。建物の一階はみやげ店で3階は露天温泉。雄大な飛騨の山々の景観が堪能できる温泉である。バスターミナルから穂高、上高地、乗鞍方面行きのバスもある。出発までの待ち時間にちょこっと湯に浸かれば一石二鳥ってわけ。うん、なるほどね~。
 
 小京都の飛騨高山に到着。旧高山市は江戸時代からの城下町で、日本の原風景を残す街として有名。積雪の路は滑りやすい。時計を見れば正午。中華そば店へいそいそ入る。飛騨の中華そばの特徴は、細いちぢめ麺で濃いしょう油ベースのスープ。具もメンマ、薄めの焼き豚、ネギだけ。だが、店主が一杯ずつ手間をかけて作る味にはこくがある。安土桃山時代に金森氏の城下町として開かれた「上三之町」へと。歴史を刻んだ通りもアイス盤状態。火難除け神さま「秋葉さま」の小さな社にたどり着き、“転ばないようにお守りくださ~い“と勝手なお願い。
 
 高山は標高が高く北アルプスの雪解け水や伏流水は上質である。ゆえに飛騨の酒造りは大吟醸など質の高いお酒が多い。酒の香りが漂う蔵元で歴史をひしひし感じながら、軒先に並べられた面白い徳利に惹かれ店内へ。芋焼酎の試飲一杯を頂き、一本購入。麦まで試飲すると酔いそう~。飛騨高山のグルメは麦酒、地酒、飛騨牛ステーキ、五平餅、みたらし団子などなど。若者がコロッケやみたらし団子を嬉しそうに手に。早速、みたらし団子を一本買う。おいしい~。一軒の店先でみたらしのについて書かれている。「みたらし」の意味を簡単にー
 「みたらしを漢字で書くと「御手洗」で神社の中にある手を清める場所のこと。ルーツは京都の下鴨神社の御手洗川。川と言っても現在は井戸水をくみ上げている。御手洗社にある井戸からわきあがる水泡になぞらえて作られたのが、「みたらし団子」の発祥といわれ、かなり古くからあったそう。みたらし団子の本来の形は、竹串の先に一個、少し離して四個の計五個をさしたもの。これは井戸水から水泡が一つ沸き、少したって四つ湧いたことを表したと言われ
 高山は何かと京都に由来があるが、城下町から生まれた歴史的背景や風土、文化的な側面にまで飛騨の奥深い世界が広がっているのを感じる。

 憬れの白川郷に到着。“うお~すごい雪”白川郷の積雪は例年の1,6倍らしい。この時期、ライトアップもされているが午後5時半~7時半まで。夕方、観光バスが集中してやってくるので、私たちのバスは早いめに到着。そう、日暮れまでまだ時間があるってこと。つり橋を渡り胸弾ませながら集落へと急ぐ。ワクワク
 白川郷と五箇山の合掌造り集落は、白山(2702m)を中心とする山岳地帯で豪雪地帯である。冬になれば交通が遮断され陸の孤島となる。隔離された山間地に平家の落人が隠れ住んだといわれる伝説もあるほど奥深い。平成7年に世界文化遺産に登録。集落の周囲の田林、道路、水路などすべてが保存対象となり、農山村特有の歴史的景観が維持されることになる。登録前、白川郷を訪れる観光客は60万人程度であったが、登録後、どんどん増え続け昨年は150万人を突破。人口2000人程度の小さな里村に観光客がどっと押し寄せてくる。風土、歴史、民族文化が生かされた村づくりだが、こんなにも人気があるのは凄い。

 合掌造りの多くは江戸時代末期から明治時代に建てられたもの。豪雪地帯にあることから家屋の特徴は、約60度の急勾配の切妻屋根である。又、吹き抜ける風の影響を最小限にしたり、養蚕の作業場の確保、通風と採光などが取り入れられている。50年~60年に一度、茅葺き屋根の葺き替えが行われてきたが、囲炉裏(いろり)の煙がなくなった現代、防虫、防腐の機能が失われ、30年間隔の葺き替えが必要になっている。見学をした「神田家」の二階に「火見窓(ひみまど)」なる小さな窓があった。そこで寝起きする独身男性は、夜中に目を覚ますと窓を開けて一階の囲炉裏の火の用心の確認をした。茅葺き屋根は火に弱いので安全を期してのこと。昔は、このように薪や炭火をおこすため、どの民家でも囲炉裏が設けられていたが、過疎化や住民の高齢化により維持面でも変化しつつある。

 夕闇がせまる白川郷がほんのり赤らみを帯びてくる。ライトアップされた合掌造り集落を撮ろうかと案内人に尋ねる。「展望台へはどのくらいの距離?坂道を上っていく価値はありますか?」にこやかな顔で「展望台まで500m、眺めは最高、行ったほうがいいですよ。」と勧める。それじゃ~上ろうと勇んで歩く。眼下の集落を見ながら展望台にたどり着く。“わおぉぉ~”どこもかしこも人だらけ。夜景を撮りたくても構えるスペースはない。ああ、手振れする~、ああ、三脚がいる~。潔く断念し、ムーンライトに足元を照らされながら急ぎ足で坂を下る。凍るような寒さに耐えながら、丘から望んだ白川郷の夜の点灯は幻想的であった。さあ、集合場所にもどろう。つり橋「出会い橋」へとくる。つり橋は悠々と流れる庄川に溶け込み、観光客を自然と人が共生する里山へつなげる素朴な架け橋である。

 翌日、「五個山・菅沼合掌集落」へと。菅沼集落は谷あいにせり出した平坦地にある。添乗員が「昨日、ここで転んで骨をおった人が2人います。お気をつけくださ~い」と注意。集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋。江戸時代末期に造られたのが2棟、明治時代が6棟、大正14年が1棟である。五箇山は300年にわたって続けられていた火薬の原料となる塩硝製作が主な産業で、今もその家が資料館としてある。小さいながらも山村集落として人々に歴史を語り続ける五箇山。深雪が穏やかな顔で出迎えてくれたのが印象的。

 金沢にある兼六園へと。兼六園は加賀藩の歴代藩主による大庭園。茶室や橋、池などが巧みに配置されて美しいが、冬の季節は雪吊り素晴らしい。北陸の雪は湿って重いので降り積もると太い松の枝など、堅い木、強い木、曲がらない木の枝がぽきんと折れる。でも、竹や柳はしなるので雪吊は必要ないみたい。なるほど、そうすると、人も心がしなりシュンとするときがあっても、それはそれで柔軟性があって良いのかも~。茶店で和菓子を頂き、見事な松を眺めながら悠久の時の流れを感じる。やがて、冬が過ぎ、雪も去って花の季節がくるだろうが、金沢の思い出は親しみ深く私を見つめ続けるに違いない。

 帰路、私はうとうとと眠りに入ってしまう。気がつくと、日本海が右手に広がり、トンネルをくぐり、又くぐる風景に記憶が蘇る。そうそう、昨年の早秋に黒部ダムへと向かった北陸道である。懐かしさに感無量。あの旅も素晴らしかったが、白川郷への旅も私を裏切らない。山里の誇りある集落を見下ろす丘に上り、私はイメージどうりの姿を見たのだから満足。沈黙と平静のなかに、人たちの生活の歴史が刻まれていると思えるが、数時間の滞在では何も見えない。それが物足りなくもどかしいが、触れ合った人々の喜びの生々しい情は忘れまい。やがて、雪路に足跡を残す旅は終わりへと・・・。

 

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   写真1枚目「飛騨高山・上三之町」
     2枚目「五箇山集落白川郷」
     3~13枚目「白川郷」
     10枚目「城跡展望台への坂道」   
     12枚目「神田家の二階にある火見窓」
     14枚目「金沢・兼六園の雪吊」
  

               (次回の掲載は2月25日木曜日の予定です)

    「山梨県・西湖いやしのさと・茅葺集落」のURLは以下です。 
    
http://morisue.blog.eonet.jp/morisue/2008/10/4-62da.html

 

2010年2月11日 (木)

イギリスへの旅(その8) 陶器の町~ブレナム宮殿へ

 

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  旅は湖水地方から南下し次なる地「ストーク・オン・トレント」に着く。この町はイギリスの陶器産業の里で古くから栄えた所。なかでも、世界的な陶磁器メーカー「ウェッジウッドのビジターセンター」は特に有名。センターでは工場見学や絵付け体験も可能。”さて、どんなのかしら?とワクワク。今ではウェッジウッド製品を空港でも買えるが、どのような環境で、どのような人達が、どのような手法で製品を作りあげているのかを実際に見てみたい。やっぱり、自分の目で見たほうがわかりやすいし、陶器についてより関心と理解が深まるように思える。

  ビジターセンターのパテオの中央に創業者のョサイア・ウェッジウッドの像がある。なかなかハンサムでかっこいい。1730年、ジョサイアはこの地方の陶工の息子として誕生。12歳の時、天然痘にかかり闘病生活を余儀なくされるが読書、哲学などの勉強に励み、単なる陶工のみならず思想家、科学者としても認められる。その後、叔父から工場を引継ぎ、独立、開業する。当時、イギリスでは陶磁器をつくるのに適当な原料の土が見つからなかったが、ジョサイアは、独自のジャスパー(天然石)焼きの硬質陶磁器の開発をし、緑色のうわぐすりを用いた陶器の成功や、エナメルを用いたクリーム色の陶器など、さまざまな茶器を芸術的レベルにまで高める。独特の風合いとデザインが特徴の陶器は、1765年にシャーロット王妃に愛用され、「クイーンズウェア(女王の陶器)」の名称の使用許可がおりる。クイーンズウェアはヨーロッパ、アメリカ大陸にも出荷されることに。

 1768年、ジョサイア右足を切断するも新工場をスタートさせ、経営危機にも乗り切るなど想像を絶する才能と努力を発揮。イギリス産業革命の先をとり、手仕事を工業産業まで発展させた偉い人である。なるほど、成功の影に生い立ちや苦難を乗り越える情熱があったのを知ると、高級イメージの強い陶器に親しみがわいてくる。センター内はシックでモダン。すっきりと陶器製品が展示されている。最初に出会うのが「ポートランドの臺」。これは4年の歳月をかけ、古代ローマ時代の作を1789年に再現したもので、ウェッジウッドが世界に誇る陶磁器ブランドのイメージマークである。工場内の各セクションの作業工程を見ると、ベルトコンベアー式の流れ作業ではなく、磁土(じど)、素焼き、絵付け、うわぐすり、すべて手作業。一つ一つ手にとり出来の判断をする職人さんの手先を眺め、”器用で根気もありそう~”と感心。”おやや”人形の絵付師の目が筆先に集中。何体もの人形のドレスを塗りわけている。この作業って難しそう~。だがトライしてみたいなぁ~。ショップもある。イギリス社会では、ウェッジウッド陶器の使用は上流階級のみで中流以下の家庭では使わないらしい。ええ、そうなの?って意外に思う。見慣れた絵柄のピーターラビットのスープカップを見つけ、やっぱり可愛いなぁ~と購入。同館のレストランで昼食。ウェッジウッドのクリーム色の皿に品よく盛られたポーク料理が、更に美味しく見えるから不思議。だが、実際に美味しかった。

 陶器の町を離れバスは進む。鮮やかな緑色の丘と、麦が刈り取られた茶色の丘が波のようにうねる。そんな丘陵地帯のところどころに羊の群れがのんびりと草を食む。麓に集落が点々と続く風景を眺め、村の人口よりも羊のほうがはるかに多そうに思える。なんだかメルヘンの世界。やがて、オックスフォードシャー、コッツウォルズ地方の「ウッドストック」に着く。そこには「ブレナム宮殿」がある。
 1704年、ドイツにおけるブリントハイムの戦いで、公爵ジョン・チャーチルがフランス軍を破ったとかで、アン女王から贈られた宮殿らしい。1987年に世界遺産に登録。イギリスのバロック建築を代表する宮殿は見るからに荘厳。宮殿は第二次世界大戦中の首相、イギリスの主相であったウィンストン・チャーチルの生家でもある。部屋は200あまりを数え、大広間には見事なタペストリー、絵画、陶磁器、家具が所蔵され、時計塔にはイングランドを象徴する獅子がフランスの雄鶏をおさえている像がある。これは戦争で勝利したことを意味しているのだそう。

 ブレナム宮殿は、フランス式、イギリス式など幾つかの庭園からなっているが、あまりの広大さにびっくり。入り口から庭園に入ると、スケールの大きいフランス式庭園が目に映る。ウオーターテラスという噴水の池が美しい。後方にイギリス式庭園が広がっている。ニレの並木道を進むと、アーチで囲まれた薔薇園へと。バラの美しい頃合も過ぎたかな?と眺めるが、何とまあ、幾種類もの色鮮やかなバラが咲き誇っている。そこから林間を通って散策路へわけいると、水辺に葦、すすきが揺れる池、まるで大河のような人工池がある。”広い池なんだぁ~

 イギリス庭園は自然のありのままのように造園をするやり方。人工的に幾何学模様の庭園はフランス式。それぞれのよさがあってすばらしいが、郊外の庭園はイギリスのほうがゆったりした気分になれそう~。そう、イギリスの風景式庭園には、何処までも続く水の流れや広大な芝生の大地、そこで歴史を刻みながらゆっくりと育つ樹木があり、その下でピシッと空間を引き締める低木がある。イギリスの風土の優雅さと刺激を求める新鮮さとが相まっている感じ。広い芝生の真ん中で、両手を広げ空気を一杯吸い込むと、遠景にブレナム宮殿が目に映る。悠久の歴史の光を受け輝く建物に、チョッピリ近寄り難い雰囲気を感じる。芝生に樹木の影が延び、青空に飛行機雲が長く延びる。“ああ、至福の空間”と思わず顔がほころぶ。 ブレナム宮殿を後にし、いよいよ歴史で煮詰まった町、ロンドンへと。

                  もうすぐ

              もうすぐ、都会の雑踏と
              もつれた騒音のからまりと
              それから
              歴史で煮詰まった町へもどる。
              今、私の運命は迷宮の庭園にあり
              その出口を見ないふり
              どんなに
              薔薇の花で息を止めようとも
              あの街をもっとよく知るために
              古い路地や街角に
              戻らねばならない                            

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           写真1枚目「ウェッジウッド像」
       2~5枚目「ウェッジウッドセンター内」
       6~13枚目「プレナム宮殿」
              

                  (次回は2月18日木曜日の予定です)

2010年2月 4日 (木)

潮風と波にゆれる旅へ・・・式根島(しきねじま)

 

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 2009年の春、友人と私は伊豆七島のほぼ中央にある「神津島」へ旅をした。そのおり乗船した汽船会社から次のような案内が届く。「リピータさん、式根島への旅はいかが?10%の割引料金です・・・」 式根島は神津島のお隣の島。次に行きたいと思っていたので、なんだか胸のうちを見透かされたような感じ。ドキドキしながら、「ねぁ~、行かない?」と再び息の合う友人を誘ってみる。「う~ん、寒そうね~」と、気乗りしない反応に少々がっくり。ツアー参加は二人以上が必須条件なので、私は諦める。数日後、その友人から「行くの?行かないの?」とやんわり誘いの電話。そうなると、待ってました~と、胸のなかに紅い灯がともる。出発の日、品川駅構内で語らいの夕食後、竹芝客船ターミナルへいそいそと。クリスマスツリーがぴかぴか光る待合室は明るい。お台場にかかるレインボーブリッジも虹色にライトアップされ、12月の夜景は華やか。“いいなぁ~旅気分って” そう~、なんだか日常が旅のようで、旅そのものが日常って思えてくる。

 22時、大型客船「かめりあ丸」が桟橋を離れる。私たちの予約席は「2等和室」。前回の旅で、神津島から乗船した「さるびあ丸」は一等客室で豪華そのものだった。今回は海水に一番近い船底で寝場所は一畳分の広さ。相当に差があるなぁ~。1等だとデッキへもすぐに出れ、常に潮風に吹かれ快適そのもの。2等だと、どこへ行くにも階段を上り下りしなければならない。デッキへもアチコチ廻ってたどり着くって感じ。だが、ウロウロするおかげで新発見もある。殺風景なデッキや食堂、休憩室、通路にクリスマスツリーが飾られ、飲み物、おやつなどの自動販売機もある。なるほど、楽しめそう~。船内を一通り見て周り、“さあ、眠ろう~”と船底へ。人のいびきで眠れないのでは?と案じていたが何のその、エンジンの音がガアガア~なりっぱなしでいびきなど問題にならない。それに客もまばらで人との接触がない。ああ、のびのびできる~。

 その少ない乗客のほとんどが大島で下船。寒さに身震いしながらデッキから見やると、鈍い光に照らされた人影が遠ざかり寂しげな光景が夜の桟橋に残る。船は大島港を離れ式根島へと向かう。暗い海に白波が魚のように飛び跳ね、時たま胸までつきあげそうな大波におののく。やがて、水平線と雲の間から夜明けの神秘な陽が動きだす。船は“おわん”をかぶせたような利島(としま)に接岸。利島には古代椿が悠久の時を経て、現代のヤブツバキへと変化したとされる20万本以上の椿があると聞く。世界でも類例がない椿の利島って魅力満載。

 ”ヤッホー” 風光明媚な式根島の「野伏港ふ頭」に到着。“ようこそ式根島へ”と壁に書かれた歓迎のメッセージと、赤色の灯台が暖かい雰囲気をかもし出す。さあ、GO-。民宿のお兄さんに迎えられ車で5分のところにある宿へと。“あれ”玄関の脇に、「式根島の水は新島(にいじま)からの海底送水です。水不足のため大切に使いましょう。」と注意書きが。昔、新島と式根島は陸続きだったが1703年の地震と津波により離島となったいわれもある。人々の話がお互いの波を越え、お互いの岸まで伝わるような近さにあり、親近感を持つ間柄である。式根島は「式根松島」とも言われ、海岸線を描くリアス式海岸は雄大である。

 民宿でくつろいだ後、干物作り体験会場へと。今日の学習魚はイサキ。さあ、イサキのさばき方を教わろう~。ウロコ剥ぎでウロコを剥ぐ 包丁を使ってエラと内臓を取り出す 魚の頭をもって腹から尾まで開く 頭を真ん中で割る ブラシで魚を綺麗に洗い、10%の塩水に2時間漬けて干す。 私も5匹を開いたがイマイチのできばえ。ゲジゲジで見栄えが悪いが味に変りはなさそう~?調理室の外では数匹の猫が魚のガラを待っている。この島は猫が多いことでも有名らしい。ニヤ~ン。 昼食は、かつおと鯛のさしみ、アシタバとサツマイモ、椿の花の天ぷら、とびうおのたたき上げ、メダイやちびきなど盛たくさんの和食。実に美味しい。満腹で歩きづらいが散策を始める。なだらかな坂道にさしかかると目線が足元の花々へ。ハイビスカス、椿、アシタバ、シャリンバイの実、イソギクなどが島風景に彩を添えている。時おり地鶏の鳴き声もする。癒される村に佇み、ここが恋しい故郷になりそうに思えてくる。

 「泊港(とまりこう)海岸海水浴場」へ。扇状に広がる美しい海岸線、この美しさは平成13年に「日本海水浴場88選」に選ばれるほど。江戸時代には三宅島や八丈島へと向かう御用船が”風待ち“をした港でもある。溶け込むような砂浜と海水が一体となった別天地。この白い砂浜で海水浴をすると気持ちいいだろうなぁ~。断崖に囲まれた「大浦海水浴場」も息を呑むほど素晴らしく、太陽が沈む夕風景は格別の美しさ。海岸線の道を歩き「神引山(かんびきやま)」を目ざす。このあたり一帯は式根島で最も高いところで、「神引展望台」から北に伊豆半島や富士山、南に三宅島、御蔵山、神津島など360度の大パノラマや、コバルトブルーの海が見れる。80m以上あると言われる岸壁や、えぐるように入り込んだリアス式海岸は雄大そのもの。神引展望台は式根島随一の名勝地で、昭和58年、新東京百景に選定される。それにしても、強風をまともに受けては樹木も育たなかったのか、ごろごろと石がへばりついている。展望台を更に上っていくと絶壁に近付く。荒涼たる岩場の真ん中に旧跡「丸山の方向石」がある。この方向石は、文化12年(1815年)伊能忠敬の即量隊が伊豆七島測量の時に設置したといわれる。こんな荒涼たる高台にまでこられたとは。”うわぁ~、ご苦労さま”

  神引展望台から遊歩道を歩くと、砂漠のような「唐人津城(とうじんずじろ)」と言われる絶景地にでる。城があるわけでもなく「良い釣り場」のよう。5月にはツツジの花が綺麗だろうなぁ~。展望台から御釜湾を眺めつつ温泉場の方へと。式根島の温泉はつとに有名。日本源泉2000湯の海の部門で、「地鉈(じなた)温泉」が1位らしい。鉈で切ったような断崖の谷間にあることから地鉈温泉と言われ、海中温泉として胃腸病や婦人病などに効く「内科の湯」とされる。その谷底へ下り地鉈温泉へと。赤茶色で神秘的だが100度はありそう~。湯舟の底はぬるぬると藻が生え不透明。裸足になり手足で湯加減をトライ。”あちち!!適温のときもあろうが今は無理。さて、地鉈温泉の近くに潮の干潮によって温度が変わる「湯加減の穴」がある。ローマの休日の「 真実の口」のよう。手を差し込むと、じわっと奥から熱い湯気が手にまつわり、”ひやっ~“あわてて引っ込める。実に愉快!

 次なる温泉「足付温泉」へ。切り傷、すり傷などの外傷に効果がある「外科の湯」。1時間以上も楽しんでおられる先客に混じって私も水着でそろりそろり~。海辺の岩場に周囲30mぐらいの湯舟のような窪みが温泉場。底の岩に藻がたくさんつきヌベヌベ温度はぬるめ。近くの「松が下雅湯(まつがしたみやびゆ)」へ移動すると、ひょうたん形など3つの湯舟があり独特の風情がある。源泉は筋肉痛や冷え性に効果あり。「地鉈(じなた)温泉」から引かれているので同じ赤茶色。まったり温泉に入ると泉質の良さが、じわじわっと体感できる。♪ああ、いい湯だな~♪ 島民の風呂場である「憩いの家」は屋根つき温泉。海中温泉とはまた一味違う。そう~、天候や湯加減の心配もないし水着を忘れた人もOK。

 気がつけば日も暮れだし寒く感じる。民宿の夕飯は鯛のお刺身など海の幸がいっぱい。夜空に星が輝き潮騒のざわめきが聞こえる。翌朝、散策をかねて再び遊歩道の2時間コースへと。そして、そのまま桟橋へ直行。さようなら、島のみなさん。観光協会の事務局長さん、あなたが教えてくださった与謝野晶子の歌、「波かよふ門をもちたる岩ありぬ式根無人の嶋なりしかば」を忘れません。
 式根島を出た大型客船「かめりあ丸」が東京湾へ。レインボーブリッジや東京タワーの華やかな夜景に迎えられ、船のエンジンが止まり、旅のエンジンも止まる。

            安らぎを求め

        時計を巻き戻すと
        島の人々が目の前に佇む
        私は問いかける
        海の囲まれたこの島で
        あなたの大切なものは何?
        わたしは安らぎを
        いずれ失う想いだけど
        熱い心は永久に変わらない
        碧い海を目に焼き付け
        分かち合った安らぎを
        島を去る前に
        忘れまいと誓いたい

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       写真 1枚目「夜明け」
       2枚目「かめりあ丸」
       3枚目「式根島・野伏港ふ頭」
       7枚目「泊港海岸海水浴場」
       8~9枚目「神引展望台」
       10枚目「湯加減の穴」
       11枚目「崖下の地鉈(じなた)温泉」
       12枚目「足付け温泉」
       13枚目「松が下雅湯(まつがしたみやびゆ」
       14枚目「東京湾の夜景」

                                ( 次回掲載は2月11日木曜日の予定です )